雑記帖

存在します

雑談のような芸術家の肖像

「ドイツの哲学者で、名前は忘れてしまったのですが、as ifを人間存在の根本規定として考えた人がいましてね、なんて言ったっけな……」というのは少し前に知り合いが述べていたものでして、知るべきことを知るとはそういうことかもしれないと思うんですがね、でもまあファイヒンガーという名前を覚えていること自体に別に価値はあると思うんですが、まあ条件と前提との話ですよね、多分。

年末だからブログを書こうと思ったのですが別にテーマはなく、来年の抱負とかを書こうかなと思ったのですがそんなものはない。いやなくはないのですが、それを来年という単位に押し込めることに意味がない。そうやってないない言ってすぐに発話を否定形で始めようとするから人間としての深みがなくなるのではないですか。人間としての深みというのが深淵に落ち込むことでしかないならそんなものはない方がいいのかもしれないみたいなね。

文法として、身体技法として、コミュニケーションとして、わたしはこういう人間だ、と提示することが人間のあり方のすべてであり、あるがままというのはあるがままのことを指すのであって別にあるがままを探索する必要などというものはまったく存在しないわけです。狂人の真似とて大路を走らば。抑圧と社会的擬制

メタセコイア。こういうふうに意味のない(意味はあるのかもしれない)名詞を文章の中に散らしていく癖があるのですが、癖があるのですが、重要でないことを反復してしまう癖があるのですが、反復が多くの場合誤字に見えるという事実はコミュニケーションについて考える上では重要ですよね。壁打ちコミュニケーション。

まあ実際コミュニケーションについて考えてはいるわけです。何かを語るということの異常さについても同じように。Portrait of the Artist as a Young Dog. En jeune singe. As a Young Man. どういう順番で覚えるのが一番正しいですか? 『マイ・フェア・レディ』と『ピグマリオン』をどういう順番で覚えるのが正しいですか? 『デンマーク人の事績』と『ハムレット』ではどうでしょうか。何の話でしょうか。

独り言をずっと喋っている人は怖い人ですが、今では万人がそうなっているということになるわけです。そうでもないです。誰かを想定しないとSNSを使えないという人がいて、ある人は遠距離恋愛の恋人のために日記としてTwitterを使っていたりした、そうです。素晴らしいことです。いや別に愛が素晴らしいのではないし、別に素晴らしいことは何もないのですが。でもとりあえず素晴らしいことですと書いてみるのはそれが文脈的に強い結合を持っているからです。前の文章は嘘を言っています。この文章の前の文章は「前の文章は嘘を言っています」と言っています。特に矛盾はしません。

well-made play. 例えばここから500字ほど人に興味を持たれない話をするとします。それはDo not go gentle into that good nightインターステラーの関係のことであり、いま関係という言葉を打ち込もうとしたら「い」が落ちてしまって菅家と変換され大笑いした(そう書くことで大笑いした)話であり、そこから頭の回転が早い人は思考のスピードがはやい分書くのが追いつかなくって字が汚くなったり誤字が多くなったりなりがちだよねーみたいな、はあそんなわけないだろ本当に頭の回転が早いんだったら字を書くという行為そのものに意識的でありなさいよと常々思ってはいるんですけどそんなことを敢えて言い募ることはしないという話につなげることであり、スラップスティックこそがウェルメイドプレイであるという逆説について語ることでもあり、だって『銀河ヒッチハイク・ガイド』とか読んで感動できるわけじゃないですか人は。愚かなことには。

思い出してみましょう。独り言をずっと喋っている人は怖い人なのでした。そして、今では万人がそうなっているというのでした。さて、簡単な三段論法です。大前提。これはわたしの偏見である。小前提。独り言をずっと喋っているのはあなたである。結論。愛と平和。平和について語るときにわれわれの語ること、ってすごく政治的な感じがしませんか?

どこまでこれを続けて終わりにしようかを考えているのですが、そういうことを考え始めた時点でそろそろ終わった方がいいということになったりもしますよね。そうかも。

追記:何かをしはしたものの、何かをできたということの全然なかった日々であって、そうはいいつつも過去を見下していたりするものですけどね。何かについて語っている光景を見たときに、それを愛について語ることでなく自分について語ることだと思ってしまう人間は不幸であり、それは別に人間に限らないのであり、人は幸せになるのが素晴らしいみたいなテーゼにはそうかなあと思って暮らしているものです。あらゆる存在は感動を拒否します。来年もどうぞよろしく。