別の仕組みを考えたほうがいいと思う。べつに大丈夫だよ、失敗なんてよくあることだし、それにそもそも、失敗できないんだったら何かをやる意味なんてない。自分の血を初めて見たときのこと、覚えてる? わたしは覚えてる。わたしも体なんだって思ったな、へんな言い方だけどさ。ここから始めたいと思った、ここで終わりにはしないって。最近は恰好つけることがあんまり苦しくなくて、じゃあずっと苦しかったんだってちょっとおかしくなったけど、そうやってあなたがいたときに話しかけたり、困っていることがあったら助けられることを探してみたり、そういうあたりまえのこと、嘘をついて平然としているみたいな異常なことではなくって、明らかに嘘だとわかる嘘を冗談として言うふつうのこと。死ぬまで種明かしのない手品をほんとうの魔法のように思ったんだよ。1億年後に成就する呪詛があなたにとっては祝福みたいに聞こえたんだって、そうやって話していたこと、いまでもときどき思い出すみたいで。
夕方の海に行って、砂の上に座って本を読んでいたら、同じことをしている人が隣にいて、そのひととわたしの違いというのは、そのひとはサンダルを履いていて、わたしはスニーカーを脱ぎ捨てて裸足で、その人はきりっとした短髪で、わたしはぼやんと広がった長髪、他にいくらでも数え上げることができそうだけど、とにかくそのひととわたしは同じことをしていて、ときどき姿勢を変えたり、砂でいまだけの腰掛けをあつらえたりしながら、じっと本を読んでいて、日が沈むまでそうしていた。あなたは山育ちだから知らないかもしれないけど、海の端に沈む夕日って、ほんとうに水に火を浸すみたいなんだよ。水も燃えるんだって思った。無数のわたしの可能性のひとりひとり、「こんなはずではなかった」と「こうでしかありえなかった」と「そうだったかもしれなかった」と「そんなのってありえない」がわたし、ひとりひとりが同じくらいにわたしだ、たまたま、光がなくなるまで波から逃げて遊んでいた、火が消えて夜だった。
きれいな言葉やきれいなものだけ集めて生きていけるとは思わない、そもそも言葉やものだけで生きていけるわけじゃないし、擬制と犠牲こそがわたしを生かすのだし、わたしはきっときたないもののなかのきれいなもの、きれいなもののなかのきたないものだった、人間の歴史のなかで、ヘルマフロディート、あなたと同じように。だから、だからというわけでもないけれど、気取ったり格好つけたり品のないものに顔をしかめたりすることを生きていくこととして、人間のふりをしていたい。わたしのなかのえたいの知れないものを、街のどこかに分け置いて歩み去ること。