雑記帖

存在します

ブループリント

ぼくはおこ、おこ、おこ、おこってるんだよ! と叫んでいる子供を見た。「おこっている」と初めて言ったのかな、と思った。わたしは怒っている。確かにあまり言ったことがないように感じる。「腹が立つ」のほうがまだしも言った覚えがある。言い覚えがある、とわたしの憧れた言葉使い師であればそう言うだろう。言葉を生み出すことができる最後の世代だった。長生きしすぎたことをつねづね悔いている。毒杯をあおぐのに必要なのは勇気ではなく倫理だった。勇気も必要だ。何といっても毒杯をあおぐのだから。誰かに死ねと命じられたことがある。その命令を発した人には、それが命令であるという自覚さえなかったかもしれない。命令形とはよく言ったものだと思う。誰かが死んで終わった世界があるとして、それはこの世界ではない。この世界ではまだ誰一人、死ぬことによって世界を終わらせるに足る力を得た人はいない。だから毒杯をあおぐのに必要なのは倫理なのだ。徹底的に個人であることのために死ぬことを望むのであれば腐乱死体をこうして今片付けさせられているのが誰なのかもう少し考えたほうがよかったのではないかと思うけれど、でもそれは清掃人の常套句でしかない。薔薇が散り敷いていて綺麗だと思う。組み立てるのに必要なのりの量は二百リットル、ちょうどお風呂一杯分くらいなので、手持ちのお金でなんとか用意できるだろうか。貯金が減ることを恐れるのはくだらない。寿命が減るのを恐れるのも同じようにくだらないけれど、切実さという意味ではまだましだ。過去の天気を調べる機会があったので、自分の生まれた日の天気をついでに調べてみることにした。朝は晴れていて、午後から雪がちらついたらしい。燭台を持って部屋に入ると、子供がまだ眠れずに不安そうな顔でこちらを見ているのが見えた。大丈夫、きっときみは立派なお兄ちゃんになれるはずだから、安心して眠るといいよ。もうかなり前の記憶だ。洞窟を抜けたら霧の向こうに建物が見えた。ゴシック様式で石造りの、やや不安定げなプロポーションだった。自分の足音がやけによく聞こえた。階段を上って、エレベーターでさらに上の階に行き、また階段を上って、またエレベーターを使った。道路の立体交差が遠くに見えた。家が壊れる時の音ってどんな音だったっけ、と尋ねられたので、リフォーム番組を見るといいよ、と答える。戦争の記憶を死ぬまでに書き残しておかなくてはいけない。一日に一万字を書いて一年を過ごし、手元にはきっと三百六十五万字の紙束がある。すると今度はそれを一日に一万字ずつ消していかなくてはいけなかったので、もう一年経ったらそこには一字も残っていなかった。閏年が四年に一度訪れるので、書いて消して書いて消してと繰り返していくと、四年で一万字が残るようになる。閏年は四百年に九十七回訪れるので、四百年後には九十七万字も書けていることになるのだと思うとかなりのものだ。ひもを引くと食べ物が落ちてくる装置だった。実際は、ひもを引くとそれを見たわたしが食べ物を落としているだけだったのだけれど、それでも装置としてはなかなかよくできていて、引き具合の調整などには職人技が要求される。いっそ燃やしてしまおうと思った。自分の思っていることを正確に言葉にするために日々言葉について考えているというようなモデルは素朴にすぎ、自分が思っていることなどもうずっとわかっていた。わたしは世界を作るために言葉を書いている。わたしはその天ぷらをしゃくと食べた。