雑記帖

存在します

身体の流離

・死
死後の世界の奇妙なところは、そこに至る人がみな、自分の人生の一片の姿、最良ではなかったかもしれないが、多くの意味で扱いやすいと思われる姿で現れることだ。わたしたちはそこには決して10代の姿では現れないし、また同様に80を超えて歩くこともままならなくなった姿で現れることもないだろう。なぜなら、天国には門があり、門には歩いて入る必要があるからだ。

生は身体とともにあり、わたしたちは歳を重ねるとき、つねにその経験に対して未経験のまま歳を重ねている。たとえ160を迎えたとしても、それを159というあらかじめ経験された生の影として理解することはできない。それは身体に経験が刻まれるからであり、つまりただの一度もわたしたちは固定した彫刻ではありえないということだ。説明に埋め尽くされた世界の中でかろうじて息をする隙間の神のように、内臓と脳に埋め尽くされた身体の中を浮遊する機械の中の幽霊、隙間の魂を考えるでも考えないでもいいが、いずれにせよ死を身体の活動の停止、主観的にはおそらく身体の消滅として捉えることができる。にも関わらず、わたしたちは自己像を——それが自己像であるというまさにその理由によって——魂のみの姿で描くことはできない。それゆえ、死後のわたしたちというものは奇妙に描かれざるを得ない。なぜなら、生について語ることが身体について語ることにほかならないし、身体について語ることが生について語ることにほかならないからだ。

 

・腹
自分が本来できることをできていないという感覚、自分が自分的な存在、他の人間に対して劣っているという感覚、自分が悩んでいることを他の人は全く悩んでいないということを理解するのが困難であること、そういうことが現れるのは腹痛について述べるときに他ならない。

つまり、わたしたちは常に世界をネットワークとして捉えなければならない。それは自宅という安全基地を出発点に構成されており、各ノードは(個人にとって)フリーアクセスのトイレからなっている。そのようなネットワークである世界をどのように移動するかということが移動の連続である生を根本的に特徴付けるものとなる。腹は移動の局限を画定する。ミラン・クンデラは『無知』の最後で、人間が移動可能な距離は、どんなテクノロジーによったとしても結局は生の有限性に取りこめられてしまうことを述べているが、そのような生のあり方の部分的な相似形として腹は一種の寿命をなす。腹痛が耐え難いものとなる前に、わたしたちはどこかのノードにたどり着かなくてはならない。

あるいは、それは移動ではなくても出現するだろう。人はどこかの場に参加し、そして場はそこでの人の立ち居振舞いに制限を加える。場の厳粛さ、公式さが強まれば強まるほど、そこから一時的に離脱することは困難になる。あるいは、情報が絶え間なく供給され続ける場——映画館、講義、会話——では、離脱が許されるとしても、その離脱は取り返しのつかない喪失を生んでしまうということになる。つまり、ノードの間隔は空間的にも定められているが、場によって規定されることで時間的にも局限される。

単純に言って、身体に負の影響がもたらされている状態は基本的にstigmatiseされる傾向にある。もちろんそれが独特の異化によるアピール(西施の顰蹙)を引き起こすこともあるが、それは行為本来の性質によるものではない(顰みに倣う)。つまりそれは他者の生活の表面から切り離され、密やかに遂行されなくてはならない。少ない回数であれば目立つことも少ないが、腹の定める極限がそれほど長くない場合は、必然的に回数が増加するので、それをなるべく見えない形に配置する必要がある。たとえば、人に比べておおよそ30分早くノードの付近(学校)に行く。あるいは、そもそも他人と共同する時間を長く大きな単位にわたって取らない。さらにまた、ノードを訪れる理由を一意に限定させない(サボタージュもノードで行う)ことにより、総体としての回数しか産出できないようにし、はっきりとそれが見えないようにする。

それと同時に、修行に励むことにもなる。人間として振る舞うための修行。腹痛の振動は欠伸によって周期を変化させることが可能なこと、身体に対して振る舞いを指示し、言い聞かせることは経験的に有効であること、そして情報の適切な管理、忘却、自分が腹痛に苦しむ存在であるという事実に対する表面的な忘却。それが生を運用する手管であり、生に基づく手段を用いた生への——身体への——抵抗だと。


・髪

髪について語ることと、髪を造形することについて語ることは同じではない。プトレマイオス朝のベレニケ2世は夫の無事のために自らの髪の毛を捧げたが、それは自分の髪の毛の重要性を信じて疑わなかったからだ。髪を切るたびに涙を流す人は最近ではほとんどいないが、それが「なんだかへんに軽くなつたやうな氣がした」程度でも存在することは重要だ。繰り返すが、それは髪を造形すること、髪によって形作られるsilhouetteについて語ることとは別の問題だ。つまり、それが存在することが重要なのだし、それが存在しないことは劇的なのだ。わたしたちは人を苛めるために髪を引っ張るのだし、それを造形することにこだわりつつもウィッグで完全に置き換えてしまおうとは簡単には思わないし、造形的美観を犠牲にしても質量が確保されていることを重要だと思うのである。自信に欠ける人はサングラスをするのではなくて前髪を伸ばし、サングラスをしている人を見てその人に自信がないのではないかと直観する人はあまりいないのである。

不安を感じたときに横髪を掴む行為は、髪の毛と人(という言い方は奇妙だが)の関係についてひとつの典型を示している。不安から逃れるために掴まれる髪は、間違いなく自分に属する一部分にほかならないのだが、その上で自分ではない。髪を自在に動かせる人は、十分に集団として影響力をもつほどには存在しない。髪が死んだ細胞、この曖昧な表現によって構成されているという意見を容れるにせよ拒否するにせよ、それが身体のままならない部分のうちで最も目立つ位置に置かれていることは確かで、他者としての自己のうち、最も明示的に現れている。それゆえ、わたしたちは自分にしがみつくために髪にしがみつく。他者という世界と対峙する中で、自分が自分以外のものではありえないという不安に抗するために。

 

Appendix: 手紙に関する所感(2019年夏の帰省に際し、親から受け取った10年前の自分からの手紙に関して、受け取りの10日後に書かれた、その手紙の宛先である10年後の自分による私的な所感)

 

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一切は記録です、当然のことながら。

 

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「生きてますか?」という問いがあってどうにも笑いが止まらないのでした。

その手紙は小4で(わたしが転校するタイミングに合わせて)タイムカプセルとして保管されたもので、10年来のものとして先日手渡されたわけです。10年という時間の流れが人生のすべてであった(もちろん主観的尺度では何ともいえないのでしょうが)当時の自分にとっては、そこから先の10年の未来などというものは遥かなる先のことで、何もかもが変わってしまっているように思われたようで、結婚しているかとか地球温暖化はどうだとかそういう質問がひとしきり続いてありました。当然ながら、1949年にとって1984年が遥かなる未来ではなかったように、2009年にとっても2019年は遥かなる未来ではないのでしたが。

まあ実際のところはそんなことはどうでもよくて、というのは手紙を書いたときのことを実のところそれなりによく覚えていて、当時は生きる死ぬの話を気軽にすると親に嫌がられていたわけです。だから別に誰に見られるでもないのに様々な質問で手紙を埋め尽くして、真ん中あたりにこっそりと「生きてますか?」と書いたわけです。素晴らしい浅知恵といえるでしょう。

10年後に自分が存在しているような気は全然しないというわけです。というか死んでいるのだと思っていたでしょう。じじつ中学1年生の最初の日に学校へ行って何事もなく物事が滑り出していく光景を他人事のように見つめたそのときまで、中学校になる前にわたしは自動車事故で死ぬのだと固く信じていたものですから。別に特に論拠があるわけでもなく死にたかったわけでもないのですが。

手紙には、生きているかどうかは別にして生きていたいかどうかということ、どのように生きているかということも問いとして提出されていました。つまり辛いことはないか、自分でいることができているか、等々。辛いことがあったとしてどうにも返事を出してやることができないので心配をかけて申し訳ないねという気分になっただけでしたが。辛いことはあります。

自分が何であるかということは実際のところ自分にとってはどうでも良いわけです。差延だとか即自だとかを持ち出してみてもそれはレトリックでしかなく、それは自己像の問題であって自己の問題ではない、つまりベテルギウスはもう爆発したかもしれないということです。単に観測の形式が複雑であるだけです。あまりに未来に大きく可能性が開いているがゆえに道を見据えることができないように、多少の苦しみを伴うことがあってもいくらでも他者が望むように自分を変形させることができるでしょう。あなたが水であるとしてあなたは動けるのだから本当に水ではなく、それならば別に器を自分で作ってやる必要もないわけです。

というわけで過去の自分らしきものはどうにも自分ではなく、自分でいることができているか、という問いに対しては、残念ながら今のところ自分でいる以外に存在する方法がないものだから、という応答を返そうかと思うものです。