雑記帖

存在します

沈黙について

むかしむかしあるところに、人がなんのよすがもなく生きているということに不安を覚える人がありました。人であればなんでもいいのですが、とりあえずここではおじいさんであるとしておきましょう。あるいはおばあさんであったり、おじいさんおばあさんであったり、おばあさんおじいさんであったり、おばあじいさんであったり、おじいばあさんであったり、おばじあいさんであったり、そうしたあらゆる両性具有の形態の果てに全にして一なるものが顕現するとは考えないほうがよいということであったりしてもよいですが、とりあえず煩雑になるのでAとしておきましょう。Aには信念がありました。Aには信念があるので、自分の柴刈りが山にとっても自分の周囲の人間生活にとっても調和のとれたものであることを信じていましたし、洗濯は川でして特に大過ないものだと考えていました。それはある種の信仰でありました。信仰という言葉を人が使うとき、それがしばしば具体的な絶対者をともなっていることをAは不思議に感じていたものでしたが、Aの信仰は、自分の人生は無意味ではないという、そういう命題に対する信仰でした。

Aはその信仰に根拠がないということに気づきました。より正確には、信仰というのは無根拠になされるものだということに気づきました。つまり、Aはある種の信念、信仰をよすがに生きてきたのですが、その信仰が無根拠なものであるということがわかった途端に、自分がたどっていたアリアドネの糸が堂々巡りのものであったということに気づく羽目になったということです。Aはこのことを悲しみ、信仰は死んだのだ、と言いました。Aは神の言葉を信じていませんでした。神の言葉と人間の言葉には次のような違いがあります。人間の言葉は他者から他者へと受け渡されてきたものであって起源を見てとることができませんが、神の言葉は神という絶対的な起源をもちます。神の言葉があると信じるかぎりにおいて、人間の言葉も不安から逃れ、単なる道具以上のものとなるのです。したがって、神の言葉、はじめにあったロゴスのことを信じないことにしたAにとって、言葉は無根拠で恐ろしいものに見えることになったのです。Aはそのために一切の言葉を発しなくなり、沈黙のうちに生涯を閉じたのだといいます。

Aが死ぬ数日前のことだったが、とこれは隣人の話ですが、Aの家からくぐもった鈍い音が聞こえてくることに気づいたのだそうです。その音は低くまた高く、弱くなったり激しくなったりしました。訝しく思った隣人は、Aの部屋をノックしましたが返事はなく、鍵が開いていたので慎重に部屋の中に踏み込むと、その声ならざる音を発しているのはAなのでした。Aは机に向かって紙に猛然と言葉を書きつけながら、忘れてしまった喋り方のことを必死に思い出そうとするように、獣のように唸りつづけていたのだそうです。

 

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冗談が好きな人だったといいます。別の人の話なのでBとしておきます。Bは仲間うちでたいへんものをよく知っている人として知られていたのですが、ほとんど冗談しか言わないので、Bがどのような意見をもっているのかについては、仲間のなかにも知っている人がありませんでした。またBがどこから来て、どこへ行こうとしている人なのかについても、誰も知ることはなく、そのことを知らなかったということに仲間たちが気づいたのは、Bがいなくなってしばらく経ってからなのでした。Bがその仲間たちに加わったのは20年前、Bがいなくなったのは10年前のことで、その前後のBの歴史は、まったく仲間たちには隠されているのでした。

ほんとうのところ、知っていてもおかしくないようなことでさえも、Bについては知られていませんでした。Bは背が高いのか、と問えば、ある人は高かったといい、ある人は中肉中背であったと、またある人は座っているところしか見たことがなかったといいます。Bは男なのか女なのかと問えば、そのようなことを問うことを諌められながら、どうやらどちらでもあったようだし、どちらでもなかったようだというような答えが返ってきます。それでいてBはまったく神秘的ではなく、あくまで具体的なBとして、仲間に加わっていて、それがあまりに自然で、いなくなるということも自然だったので、Bがいないということを掴むことさえすこし時間がかかってしまったのだと、Bを回想する人は嘆息するのです。

Bはどんなことを言っていたのか、それもよくわからないことのひとつです。すでに書いたようにBが言うことはほとんど冗談でありましたし、Bのアイロニーは非常によく調整されていたので、反語としてBの意見を推し量ることも難しかったようです。年々のつきあいから少しずつ人柄がわかってくるというようなこともBにはなく、Bの冗談はつねに築かれかけた構造を破壊するように作用し、高度な具体を歪んだ抽象と接続し、また切り離すので、Bが言うことはいつも突拍子がないように、およそBらしくないものであるように聞かれました。そもそも、まったくBらしい発話といったものがないのですが。

 Bについて人が聞いたことがないと言うもののひとつは自己紹介でした。Bのことをある名前で呼ぶことは珍しくないことでしたが、Bがその名前を名乗っているところを聞いたことがある人はまったくおらず、どうしてその名前を知っているのかということで話をつきあわせてみてもわからずじまいでした。しかし、その名前はBに似つかわしいと思える唯一のものでもありました。Bがいなくなったあとには、Bについてのすべてがその名前のなかに隠されているようにも感じられました。甘美にして苛烈であり、乾いていて親密でもあるBの冗談の響きのすべてが、その名前のうちに沈黙として聞かれるのでした。

 

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歩いていて春紫苑を見たと思った。それは本当は姫女苑だったのかもしれなかった。そのときのわたしにはよくわからなかった。そのときがいつだったのかがよくわからないので、時期から推し量ることもできなかった。その記憶は映像として内側に残っていて、映像の中の花はどちらであるようにも見えた。たんねんに記憶を追いかけていけばそのうち知ることができたのかもしれないが、そうしないことにした。自分が何かであるということを突きつけられたように感じた日があった。そのことを救いであるように思ったとき、そのことを呪いであるように思ったときがあった。ゆっくりとずれてぼやけていくものとして自分があるということを、そのような自分のことを定義しておく必要が特にないと感じるようになった。

沈黙はどこかで音に声に転じるしかないということを知る瞬間があった。沈黙がやんで声が流れるのではなく、沈黙のうるささをつづけていく先に声があるのだということが、水のように言葉を書こうと思って失敗したときに、声を発さなければ耐えられないと思って沈黙をやぶるときにわかった。あいさつを言うたびに別のあいさつがそれに重なっているということがわかる。今日はいい天気ですね、と言うたびにそれまでの無数の無意味なやりとりがその奥でざらついているということを言葉に関する少ない真実のひとつとして数え上げながら、無意味なものから聞こえる意味の気配をつかもうとしていた。