雑記帖

存在します

観光案内人

 中央分離帯に取り残された人がこちらに手を振っているのが見えますね? あれをどうして中央分離帯と呼ぶのかというと、むかしは中心と周辺というのが分かれていて、人間は互いに争っていて、不公平というものが、つまり公平でないということですが、意味をもっていて、車というものがあって、道路というものがあちらこちらをつないでいて、つまり世界はひとつではなくって、車といっても今のような人力車ではなく、電気やガスで動くようなもの、自動車と呼ばれていた時期もありましたが、むかしの人の命名の感覚にはちょっと信じがたいものがあります、そういうもので、むかしはそういうものを多くの人がもっていて、それを乗り回す、最近はあまり聞かない複合動詞ですが、そういうことが日常的に行われていたのです。中央分離帯だけはいたるところにあるのでみなさんにも子どものころから馴染み深いのではないかと思いますが、それが本来なにを分離するためのものであったのか、みなさんにはアパルトヘイト、ガザの壁、"Separate but equal"、そうした語とともにあるような言葉の痕跡が薄気味悪くもまた魅力的に、むかしは廃墟に通うことが流行していた時代があって、つまり廃墟というのは今のようにわたしたちとともにあるようなものではなく、ある種の非日常性、つまり日常の裂け目であるということですが、道路というものが保存されなかったのは、廃墟というものとは違って、それが存在しているものだとは思われていなかったからなのです。場所はいかようにも保存されることができたのですが、場所でないものは保存されることができなかったので、あるいは単に保存されるものとみなされなかったので、このように中央分離帯だけが残って、道路はなくなってしまった、あの時代がみなさんもよくご存知のように文化というものを広く保全しようとしたものであったからには、それは結局文化という概念を放棄することによって終わるしかなかったということは、歴史が証しているというわけです。

 では、なぜあの人は取り残されているのかということが当然気になってくるわけですよね。取り残すという複合動詞もみなさんにとってはあまり馴染みがなく、たとえば五月雨の降り残してや光堂の「降り残す」と同じように、なんだか意味はわかるようだが自分ではうまく使うことのできない前時代の言葉として考えられることが多いのだろうと推察しますが、ともかくあの人は取り残されているわけです。つまり、あの人はこちらへ来ることが叶わず、まだあちらにいるということです。こちら、あちら、つまり分離があるころの意味においてですが、あの人はあちらからこちらへ来たかったのだが、来ることができなかった、どうしてかというと、あの人が進むことを妨げる規則があり、あの人はその規則を内面化していたのです。言い換えると、規則が外挿されるのではなく、むしろ人間の内面、つまり肝臓とかのことですね、そういうものに作用することによって効力をもっていたということですが、このようにわずかな時代の変化によって人間はかくも変わってしまうのだということが、そのときどきを生きている人間には自覚されないということがもっとも驚くべき事態かもしれません。わたしだってこのように、たまたま前時代との奇縁があってこそみなさんに対してお話をすることができているわけですが、それも結局はある種の、むかしは、むかしは、むかしは、……。みなさんがハと発音するところの一部をわたしがワと発音していることを気にしていらっしゃいますか? 言葉も人間が変わるにつれて変わるしかないというのはわたしの師匠の教えのひとつではありますが、つまり人間が人間を教えていた時代があったということですが、人間が何かを教わることによってよりよくなると考えられていた時代があったということですが、……あの人は、信号がアカを示すことによって取り残されているのだと言われています。アカというのはみなさんもよくご存知のように、薔薇色のことです。むかしは色を抽象的な名前で呼んでいたのだといいますが、これはいかにも不便なことだと感じられますよね。ホメロスという人が薔薇色という言葉を作ったのだとされていますが、これはかなり最近の時代に属することなのだろうと思います。

 これでかなりのことを説明したことになりますが、説明というのは冗長であることを旨としていても、本来的には短ければ短いほどよいとされているので、……逆かもしれませんが、いずれにせよ「手を振っている」ということについてわたしがまだ何も説明していないことを、みなさんは不審に思っていらっしゃるかもしれません。まあみなさんが何かを考えているなどとわたしが思っていると考えられるのは心外なのですが、よくわからない言葉をまあ次から次へと使いやがって、どうせ今度はあの人が手を振り回しているとか手を振り残しているとでも言うつもりなんだろうとみなさんが仰るのもごもっとも、いえ実際に仰ったかどうかはこの場合問題ではないのです、つまり人が人に何かを伝えるときに、相手が自分のことをどう思うかということをあらかじめその反応のうちに組み入れながら、組み入れる、組むと入れるからなる複合動詞ですが、何かを言うということがかつては日常的に行われており、ほんとうに人の話を聞いてはいなかった、もちろんみなさんはそれとはまったく別の形でわたしの話を聞いてはいないわけですが、手を振るという行為はかつてはいくつかの記号性を帯びていた、帯びるという言葉には中央分離帯が語源的な関わりをもっているというのが、もんぺと門扉のあいだには深い関わりがあるということと並ぶわたしの二大仮説なのですが、ある人は、誰かと誰かが出会うときに手を振るということがあったのだと言い、またある人は、誰かと誰かが別れるときに手を振るということがあったのだと言います。こう聞くと、ひとつの記号がまったく相反する意味をもつというのは、pretty strangeな事態だとみなさんには感じられるかもしれませんが、そうではなくって、これは結局ひとつの記号性、つまり境界に立っているということに拠っているのです。言葉が消えて沈黙のきのこが生えてくる場所、沈黙の霧が晴れて言葉の雨が降ってくる場所で、人は手を振るのだとされています。すみません、みなさんが比喩に慣れていないことを忘れていました。怯えなくても大丈夫ですよ。

 さて、それでは最後に、あの人が何であるのかということについて、いま考えられている仮説をいくつか紹介して、わたしからのお話は終わりにいたします。……しかしもう時間がないようなので、このお話は一旦ここで終わりにさせていただきます。それではさようなら、よい旅を。

退屈と無意味

 物がすくない部屋の隅に人が背中を丸めて座っている。

 顔はこちらから見ることができない。服装からも髪型からも特段、その人らしいといえるような特徴は読み取ることができない。部屋は灰色で、その人も灰色で、反対の隅から差し込んでいる光も灰色、それなのにひとつひとつのものが、存在を消すことができないことにかえって苛立つように、存在していることを主張している。音楽が流れている。パッヘルベルのカノン、荘厳な弦楽器の織物のようで、流れ出して止むまでのあいだに完璧な美しさをすこしも落とすことのない、退屈な曲だ。

 その人は何にも興味をもたず、顔は床に向いていて、手が動いているということもなく、ただそこに座っている。音ひとつも立てずに、周りの空気をすこし動かすことさえも厭うように。空気があるのかさえはっきりとはしない。呼吸のリズムも、上下する肩の動きも、カノンの旋律に溶け込むように消えて、何を言うこともない。沈黙が聞かれるということさえもない。何のメッセージもない。何の明るさも、何の暗さもない。ほんとうに光がないというのはこういうことをいうのだろう。

 演じているということのもっとも基本的な特徴は、それが演じていないということと区別ができない、よりはっきりと言ってしまえば変わらない、ということにある。何かを演じるということは、何かそのものであるということから免れることはできず、同時に、何かそのものであるということは決してないようなことだ。演じる、ということは、何かのふりをする、ということでは決してないし、演じているものがそれそのものであるとしてもなお、何かのふりをする、ということでしかありえない。わたしはAだ。Aはわたしだ。わたしはAを演じる。Aはわたしではない。わたしはわたしだ。AはAを演じる。AはAではありえない。わたしはわたしを演じるということでしかありえないし、わたしはわたしを演じるということがありえるはずがない。

 あるいは単に、わたしだ。

 朝起きると、今日もすべてが同じことで、今日もすでにすべてのことが変わってしまっていて、うんざりする、絶望する、繰り返すこと自体に意味はなく、繰り返してきたことに意味があるというのなら、退屈を紛らすことに意味はなく、退屈することに意味があるというのなら、朝起きると、今日もすべてがわたしで、わたしはひとつもわたしでないところがなく、わたしはそのことにうんざりする。決してわたしではありえなかったところのものであるようなわたしが、わたしである、ということに。

「あの子、死んだらしいよ」「そう」「そうなんだ」「なんで」「なんでって」「なんで死んだの」「死んだんだよ」「うん」「死んだことに理由なんてないじゃん」「でも」「でも?」「死ぬことに理由はあるじゃん」「あるさ」「そうでしょ」「でも別に死ぬ理由があったって、そんなの」「いや」「意味がない」「ないよ」「じゃあなんで」「わかんないよ」「嫌なことがあったとか」「そんなところ」「嫌なことなんて一個もないけど」「それどういう意味?」「べつに」「だってだから、そうじゃないのって」「違うよ」「ううん」「もう帰る?」「まだいる」「どうせ帰っても退屈だし」「ここにいたって退屈だけどさ」「そうだね」「わたしも、まだ」

 不意にカノンの音が大きくなって、頭のなかに流れ込んでくる。涙を流してしまう。どうして流れたのかわからない。感動したわけでも、悲しかったわけでもない。感動に襲われて、ひどく悲しい。部屋の隅に座っていた人がこちらを向く。その人は、その人も、涙を流している。息が、吐くようなうめきが漏れる。言葉をまだ知らなかったころ、わたしたちは叫んでばかりいたはずだ。生きている、今日も明日も死んだあともたぶん、どうしてかわからないけれど、どこかから、音が迫ってくる。わたしにわたしと名前がつくずっと前の時間から、わたしがわたしでなくなったずっと後の時間から、その人の口が開いて、耳を圧するような、嘘でも本当でもないような、それは、醜く美しく騒がしく沈黙して、これ以上はもう書くことができない。

感情の手紙

嫌だよねえ、と物語の嫌な場面を読みながら、より正確には物語の人が何かを嫌がる場面を読みながら思うことがある。嫌だけど嫌じゃない場合もあって、嫌ではなかったこともあって、それも含めて嫌なんだけど、でもそう言うにはただ嫌というしかない。「いや」と書くと口だけが動くようで、「いやあ、……」と話しだすと意味がないようで、嫌で怯えていることのどんなに多いことかと思って、思っていることそれ自体に埒がないような。

生きていることを信じがたい裏切りのように思うことがある。何に対してということもなく、もし何かに対してということであればそれは論理立てて考えることもできるのだろうと思うけれど、そうでないかぎりは、ただの気分のような、そうしたひとつの背徳のような、しかし徳などはどこにもないような、そのようなものでしかない。どう思いつめた恰好をしていても結局のところは一人芝居でしかないのだけれど、でも基本的にはそうした一人芝居の組み合わせのように生活のことを思いなしてきたからには、たとえ死ぬということがあったとしてもそれもまた、生活のようにしか訪れることはありえないのだろう、おそらく、と、遅れてくる思いのように、つねづね考えていることがある。

わたしによって苦しみの濁りを心底にもつことになった人がいるかもしれないと考えることさえもおこがましいのだけれど、そうした人たちが、どうか忘却によってほどけていてほしいということを思うときに、わたしはわたしについて、わたしがわたし自身であるということによって被った、わたし自身の苦しみについて、何を思えばよいのだろう、と途方にくれてしまう。無数のありえたわたしを空想することも、ありえなかったやはり無数のわたしを空想することも、あなたの弱々しく怯える腕のように、わたしとともにあり、ともになく、つまり同じことで、だから結局、わたしはあなたを苦しめているということになるような、と思って、救いでないとしても笑うことができるということはあるね、という声が聞こえる。

言葉にすること、書くことや話すことが人にとって救いになる、という物語の要素にときどき出会い、そのたびに、ずいぶんと実感のこもったような話でかえって信用ならないように思いが流れてしまう。むしろ書くことが呪詛のように、新しい鎖のように変じることもあれば、あるいはまったく、透明に乾いてゆくような、そのような空虚であることもあるものではないのだろうかと、実感に実感を返したところで不毛なものだと苦笑しながら、苦く、苦しく笑いながら、それでも別のことを感じることはできない。耳を塞ぐことがほんとうの意味ではできないように。

遅効性の毒をずっと身体に注ぎこまれていたことにあとから気づいてしまったような、そんな思いがあり、今の自分のかたちが取り返しのつかない後遺症の結果であるような、誤謬だと思うようなことが、感情としては竜のような確かなものとして、どうしようもなく存在する。その感情とともに生きていくのか、その誤りととともに生きていくのか、その毒に汚れた身体とともに生きていくのか、わたしはそこにあるものが実際のところは何なのか、それをつかめないでいる。わたしについてすべてのことを変えることができるのに、何かがわたしを決定的に変えるのだとしたら、それはやはり、わたしというものの芯のあいまいさ、葱のような、そうしたものなのだということになるのかしら、と思う。

詩人が詩のことをとりあえず絶対的だと思わなければいけないというような事態が、そのこと自体が苦手かどうかはべつとして、すこし苦手だ、と思う、さる大学教授の人生の回顧が空虚であるとしてもそれはとりあえずの救いではあって、まだ大学教授でもないのに、そのような事態を時間から隔絶したものとして見はるかしてしまうのが、苦手だ、という意味において。雪の降る心象のなつかしさを繰り返し訪ねながら、ここには何もないと思う、何度も戻ってくることになるだろう、のちのちにも、と思うだけで、その予感だけがあり、でもそれは来ない、決して、決して……。

言葉で失敗しとおしなことが次々とやってくる夜や昼や夕刻があり、わたしからひとにあたえた誤解のいくつかと、ひとがわたしに結果としてあたえることになったさらにいくつかの誤解、ほんとうは何もあたえていないし受け取っていないのだけれど、でもそのようなやりとりだけが残るような事態に、こびりつく感情と、その描写の、気づく間もなくあらわれる言葉のゆかりを知ることになる。わたしはあなたのことを何も知らないし、あなたはわたしのことを何も知らない、そんなはずはなく、あなたとわたしという言葉を使い分けていると思うようなことが一体いつから可能だったのだろうと訝しい。一年は毎年冬に終わるみたいね、そうね、と、どちらが言ったのかもわからないような音だけが、わたしもあなたもあなたもわたしもいなくなったあとで、まだ届きつづけている。

思考の最近の複数の

単純ではないことが多いので難しい、それはつまり、複雑なことが少なくないということだけれど、どこから話したらいいのかわからなくて、結局生まれたときのことから、生まれる前のことから、この釈迦という人はどれくらい偉い人なんですかと尋ねられて実はこの人は飢えた虎に自分を食べさせて死んだことがあってねとべらべら話してしまうのは、おまえがこの罪を犯したのはいったいどうしてか、いやね、そもそものことですがわたしの両親が結婚したのは忘れもしない文化五年の辰年のこんな闇の晩でありましたが、そのころは物騒なもので殺しがありましてね、と熱に浮かされたように喋り続けてしまうのは、語るということにあらかじめ潜んでいる、わたしがそのなかに身を置いていないと思っている狂気に似たものの影が目の奥に浮かぶからなのではないかと、そのように、わたしは文をきちんと終える方法をまだ知らないまま、このように何かを書いている。

貴族について思うことがいくつかあり、もういちど『斜陽』を読み返す必要を感じている。ルキノ・ヴィスコンティの『山猫』が衝撃的だったのは、バート・ランカスターの圧するような体躯であったり、どこまでも終わらないダンスであったりといったものでは部分的にあるにせよ、もっとも重要なのは、そこで映し出されるいくつもの場面の、寒々しいほどの無意味さによるのかもしれなかった。「おれたちのように、爵位だけは持っていても、貴族どころか、賎民にちかいのもいる」と嘯いていた弟が「僕は、貴族です」と書きのこして死んだあとの、やるせないような無意味が、その徹底的で哀れで滑稽で愚かでうつくしい反時代性のことが、『山猫』の中にも、そしてきっと昭和の文学として読むしかなかった「abさんご」と「感受体のおどり」のなかにも感じられて、わたしはその周りを何度も囲繞しながら近づかないでいる、そのこと、貴族性の欠乏と貴族性の残滓が同時に自分のなかにあることの哀しみを、わたしは問題にしようと思っている。

世の中の人が宗教について語り続けるなかでわたしの気にしているのは世俗的なものと宗教的なものとの区別にあり、ずっと苦々しく眺めている「推し」という言葉や、言葉によって何かを描写するということの仕方、書いて追うこと、読んで追うこと、そうしたことの居心地の悪さ、素朴な生活のことが、宗教的なものと深々と繋がって身動きをとれていない。反省と賭博のこと。賭博はほんとうのところ、無に向かって身を投げ出すことであって、行為することの極端がそうしたところにあるのだとしたら、わたしは『現代の英雄』の最終部をどのように読み直すことができようかと思うこともあるのだけれど、その行為することの先にふたたび宗教的なものが現れるので、わたしは単に反省の問題として身を投げ出すことを考えることができていない。身を投げ出す先があるということの、人間の生命の無意味さに対する侮辱を耐えがたく感じていることがわたしの無宗教の根拠なのだとしたら、ということでもある。そしてわたしは何度も書くことを祈りにたとえながら、そのことに対してわだかまりをもっている。

食事と死、自分に残された時間のことについて、そのような勘定をすることについて、Aについて、Bについて、わたしは何かについて考えるというときに、それについてということをきちんと考えてはいない、ということを、あらためて書くまでもない。たとえばセックスに対してわたしの感じている可笑しさ、滑稽さといったものが、食事の場合におけるきたなさと相同のものであることにわたしは何となく気づいている。生きていくのではなく死んでいくのだというように流れていく時間のことを異常なものだと思ってきたけれどわたしは一度も死んでいくのではなく生きていくのだと思っていたことはなく、デカルトからカントへの歴史のことをなんとなくわかったように思ったときからずっと、わたしの時間は残された時間であり、わたしはそれを長くはないものだと感じており、わたしは日々を使い潰しており、日々を使い潰すということの無意味さを代えがたいもののように感じている。It's only talk......という言葉が反響するのを聞きながら、わたしは無駄話を続けている、それは無駄話ですらなく、ただの話になって、だからイッツ・オンリー・トークなのだけれど、そのあとで何かが手触りのように沈黙に残って、わたしはそれを繰り返し眺めている、ということの、馬鹿らしい、そうしたことの……。

そしてわたしは絶え間ない暮らしを続けている。ひとりで過ごす時間は多いようで多くはなく、多くの時間を人と過ごしているようで人と過ごしてはおらず、ころころと笑って時間を楽しんでいるときの後ろ指をさされているような感覚と、生活の断片を無意味なものにしていこうとするということのはっきりとした矛盾を、わたしは自分の生活と生活者としての自分に対するアンビバレンスとして認識する。移動のあいだはほとんどずっと音楽を聴いている。音楽はわたしにとってなくてはならないものだ。わたしは音楽がなくなっても平気で生きていけるだろうと思う。わたしは救いを求めていないのに、救いのほうが次々とやってきて、わたしは涙を流してしまう、知らない人と話したい、5分の痕跡が死の目前のわずかな嘆息につながるように、駒子の埒もない嘆きのなかにある光のようなものとつながるように、まだしばらくは続けていくことができると思っている。

concord

 人に優しくされたり褒められたり祝福されたりすることに慣れたいと思うことがあり、そう思うとほとんど同時に、そうしたことに慣れたくないと思う、それは話がすれ違っており、慣れたいと思うというのは、いちいち人がわたしを気にしているという事実に怯えたくないという意味であって、慣れたくないというのは、それらの出来事を惰性的に受容したくないという意味だ。他人が存在するということを認めなくても他人と話すことはできると考えることは卑近な水準では正しいけれどそれ以上ではまったく正しくないことで、わたしは反応に対して適切あるいは不適切な反応を返すように会話をしているほど、そのような反応の系が会話のすべてであるということを認めたいと思わなくなる。人が実際にいてそれらはそれぞれが無数のわたしであり、そしてそれぞれが他人のことを無数の描像として内心にもっているということ、そのような素朴な事実を気の遠くなるような気持ちで認めながら、わたしはわたしがそのような素朴な無数の一部であることを知る。それがわたしであるということだ、とりあえずは。「貸金庫」や「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」や「良い夜を持っている」や、そしてもちろん『変身』を読みながらわたしが考えるのはそうしたことで、そこで照り返してくる無数のわたしの反映がそのまま、寄る辺なさ、矮小さにつながり、わたしはもうわたしが存在するという事実に対して多くのことを考えることがない。人間が人間以上のものになるということが決してないということを、人間が人間のことを、あるいは人間でないものも、人間としてしか捉えることができないということ、わたしはそれをある思想の死として捉えることになるのだけれど、それはまた同時に、わたし、と言い、書くときに、そこに過去に言われ書かれたむせかえるようなわたしの群れの痕跡をそこに見るということでもある。そのことがわたしにとって重要なことだ。言葉は初めから死をもってわたしの前に現れていたし、言葉を使えば使うほどその影は激しく濃くなっていってもうどうしようもないということ、だから服喪と弔鐘がいつまで経っても止むことがないというのはわたしが言葉のことをただ口からすべり出ていってしまう程度のものとしか思えていなかったからなのだろうと思う。沈黙にすべてがあらかじめ書かれているという感覚を諦念としてではなく実感としてもつこと。

 数百人の人が同じ列車に乗って移動している。その人たちのほとんどが互いに喋ることがなく、その人たちの多くが二度と同じ電車に乗ることがない。同じ電車に、その人たちが、ということでもあるし、電車に、同じその人たちが、ということでもある。あるいはもっと重要なのは、もし奇跡のようにそのような出来事が起こったとして、その人たちがまったくそのことに気づくことがなく、気付きようもないということで、その人たちは電車から降りては1人のわたしとなり、電車に乗っては数百のわたしとなり、それと同時に幾らかのあなたともなり、わたしはそのことに気づかないまま長いこと電車を待っていたのだった。だから、バス停や駅に歌垣の盛りの残響を聞くとしてもそれは偶然ではなく、ある人が微生物のやりとりとして見出したような人間と人間とのもっとも原始的で親密な関わりのことを無視することは難しい。不快だ。理路はそれほど明確なものではない。わたしはひとりのわたしに出会い、これはわたしにとってわたしではなく、あなたである、というように思う、そこでわたしはあなたに問いかける、あなたはわたしにとって何なのか、と、そのことを確定させたいがために、ではあなたは、セックスをしなくてはならないのか、とそう真面目に問いかけられていると『欲望のあいまいな対象』を観ているときに感じてしまって、それでよかったのかどうかはわからない、わたしは初めの爆発のときには笑っていて、2度目の爆発のときには表情が引き攣っていた、わたしは笑うことができなかったのではなく、ただ寒さを感じてしまっただけなのだと、一応は振り返ってみることができるけれど。熱を出して寝込んでいるときのように、火照りによって震えるときのように。

 ゆびをそろえて伸ばした左手を,手のひらを上へ向けて胸によせたのへ,内がわからたもとを返して載せると,それは左がわにいる他者の手であった.載せられたたもとからのぞく手さきにつとためらうように見いってから右手でそっとささえもち,右へ,二あし三あし連れていくとき,右手にとって左手は他者の手であり,左手にとって右手は他者の手である.私は他者をかねた.

 わたしは他人が存在するということをもう簡単に信じていて、そのことに驚くことができない。多くの救いが敗れさっていき、ここに残っているものはもうずいぶん少なくなったようだと感じる。書くことによって生まれるものは何もなく、書かないことによって生まれないものがいくつかある。矛盾ではない。目の前に存在する檸檬の色、ざらざらとした質感、少しの重み、手から離したときにもまだ少し残っている香り、わたしはそうしたものたちと同じように、自分の内部と外部にある他人の存在を、認識として信じている。認識は言葉と生まれた。だから言葉は無為であり、言葉が書かれないことによって、生まれなかった認識があったと、とりあえずはそうしたわずかな形式のために、祈りを、それらのために捧げているのだと、そのように言ってみることができる。祈りは言葉だ、当然のことながら。認識のための祈りとして、わたしは沈黙を破る。

引用は、黒田夏子「感受体のおどり」(『abさんご・感受体のおどり』文春文庫、2015年)より。

沈黙について

むかしむかしあるところに、人がなんのよすがもなく生きているということに不安を覚える人がありました。人であればなんでもいいのですが、とりあえずここではおじいさんであるとしておきましょう。あるいはおばあさんであったり、おじいさんおばあさんであったり、おばあさんおじいさんであったり、おばあじいさんであったり、おじいばあさんであったり、おばじあいさんであったり、そうしたあらゆる両性具有の形態の果てに全にして一なるものが顕現するとは考えないほうがよいということであったりしてもよいですが、とりあえず煩雑になるのでAとしておきましょう。Aには信念がありました。Aには信念があるので、自分の柴刈りが山にとっても自分の周囲の人間生活にとっても調和のとれたものであることを信じていましたし、洗濯は川でして特に大過ないものだと考えていました。それはある種の信仰でありました。信仰という言葉を人が使うとき、それがしばしば具体的な絶対者をともなっていることをAは不思議に感じていたものでしたが、Aの信仰は、自分の人生は無意味ではないという、そういう命題に対する信仰でした。

Aはその信仰に根拠がないということに気づきました。より正確には、信仰というのは無根拠になされるものだということに気づきました。つまり、Aはある種の信念、信仰をよすがに生きてきたのですが、その信仰が無根拠なものであるということがわかった途端に、自分がたどっていたアリアドネの糸が堂々巡りのものであったということに気づく羽目になったということです。Aはこのことを悲しみ、信仰は死んだのだ、と言いました。Aは神の言葉を信じていませんでした。神の言葉と人間の言葉には次のような違いがあります。人間の言葉は他者から他者へと受け渡されてきたものであって起源を見てとることができませんが、神の言葉は神という絶対的な起源をもちます。神の言葉があると信じるかぎりにおいて、人間の言葉も不安から逃れ、単なる道具以上のものとなるのです。したがって、神の言葉、はじめにあったロゴスのことを信じないことにしたAにとって、言葉は無根拠で恐ろしいものに見えることになったのです。Aはそのために一切の言葉を発しなくなり、沈黙のうちに生涯を閉じたのだといいます。

Aが死ぬ数日前のことだったが、とこれは隣人の話ですが、Aの家からくぐもった鈍い音が聞こえてくることに気づいたのだそうです。その音は低くまた高く、弱くなったり激しくなったりしました。訝しく思った隣人は、Aの部屋をノックしましたが返事はなく、鍵が開いていたので慎重に部屋の中に踏み込むと、その声ならざる音を発しているのはAなのでした。Aは机に向かって紙に猛然と言葉を書きつけながら、忘れてしまった喋り方のことを必死に思い出そうとするように、獣のように唸りつづけていたのだそうです。

 

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冗談が好きな人だったといいます。別の人の話なのでBとしておきます。Bは仲間うちでたいへんものをよく知っている人として知られていたのですが、ほとんど冗談しか言わないので、Bがどのような意見をもっているのかについては、仲間のなかにも知っている人がありませんでした。またBがどこから来て、どこへ行こうとしている人なのかについても、誰も知ることはなく、そのことを知らなかったということに仲間たちが気づいたのは、Bがいなくなってしばらく経ってからなのでした。Bがその仲間たちに加わったのは20年前、Bがいなくなったのは10年前のことで、その前後のBの歴史は、まったく仲間たちには隠されているのでした。

ほんとうのところ、知っていてもおかしくないようなことでさえも、Bについては知られていませんでした。Bは背が高いのか、と問えば、ある人は高かったといい、ある人は中肉中背であったと、またある人は座っているところしか見たことがなかったといいます。Bは男なのか女なのかと問えば、そのようなことを問うことを諌められながら、どうやらどちらでもあったようだし、どちらでもなかったようだというような答えが返ってきます。それでいてBはまったく神秘的ではなく、あくまで具体的なBとして、仲間に加わっていて、それがあまりに自然で、いなくなるということも自然だったので、Bがいないということを掴むことさえすこし時間がかかってしまったのだと、Bを回想する人は嘆息するのです。

Bはどんなことを言っていたのか、それもよくわからないことのひとつです。すでに書いたようにBが言うことはほとんど冗談でありましたし、Bのアイロニーは非常によく調整されていたので、反語としてBの意見を推し量ることも難しかったようです。年々のつきあいから少しずつ人柄がわかってくるというようなこともBにはなく、Bの冗談はつねに築かれかけた構造を破壊するように作用し、高度な具体を歪んだ抽象と接続し、また切り離すので、Bが言うことはいつも突拍子がないように、およそBらしくないものであるように聞かれました。そもそも、まったくBらしい発話といったものがないのですが。

 Bについて人が聞いたことがないと言うもののひとつは自己紹介でした。Bのことをある名前で呼ぶことは珍しくないことでしたが、Bがその名前を名乗っているところを聞いたことがある人はまったくおらず、どうしてその名前を知っているのかということで話をつきあわせてみてもわからずじまいでした。しかし、その名前はBに似つかわしいと思える唯一のものでもありました。Bがいなくなったあとには、Bについてのすべてがその名前のなかに隠されているようにも感じられました。甘美にして苛烈であり、乾いていて親密でもあるBの冗談の響きのすべてが、その名前のうちに沈黙として聞かれるのでした。

 

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歩いていて春紫苑を見たと思った。それは本当は姫女苑だったのかもしれなかった。そのときのわたしにはよくわからなかった。そのときがいつだったのかがよくわからないので、時期から推し量ることもできなかった。その記憶は映像として内側に残っていて、映像の中の花はどちらであるようにも見えた。たんねんに記憶を追いかけていけばそのうち知ることができたのかもしれないが、そうしないことにした。自分が何かであるということを突きつけられたように感じた日があった。そのことを救いであるように思ったとき、そのことを呪いであるように思ったときがあった。ゆっくりとずれてぼやけていくものとして自分があるということを、そのような自分のことを定義しておく必要が特にないと感じるようになった。

沈黙はどこかで音に声に転じるしかないということを知る瞬間があった。沈黙がやんで声が流れるのではなく、沈黙のうるささをつづけていく先に声があるのだということが、水のように言葉を書こうと思って失敗したときに、声を発さなければ耐えられないと思って沈黙をやぶるときにわかった。あいさつを言うたびに別のあいさつがそれに重なっているということがわかる。今日はいい天気ですね、と言うたびにそれまでの無数の無意味なやりとりがその奥でざらついているということを言葉に関する少ない真実のひとつとして数え上げながら、無意味なものから聞こえる意味の気配をつかもうとしていた。

絶対に関する断片

絶対的なものを色々とりかえてみて人が生きていると考えてみるのはどうだろうか? 神は死んだという宣言をまじめに受け取ったのはサルトルのほうで、ニーチェ自身は世界の絶対性に対してはそれなりに楽観的であったような気がする、あるいはそうでなくても、とりあえず狂ってみれば良かったのだ、ニーチェにとっては。

じゃあサルトルはどれくらいそれを引き受けたのか? それはここではあまり問題ではない。「実存は本質に先立つ」と宣言してみることは、何を否定することになって何を否定しないことにつながるのか? 映画『アデル、ブルーは熱い色』で、エマはアデルに対してサルトルの思想を語り「実存は本質に先立つ」という言葉を引用する。しかしながらそれはほとんど「本質は実存に先立つ」と言っているように響いた。すくなくともわたしにとっては。

エマの怒り。どうしてアデルは男と寝なければならなかったのか、と問うのは脚本の構造を問題にすることであって、アデルの心理を問題にすることではぜんぜんない。たとえばその描写を、レズビアンに対する偏見(「レズビアンは"男の悦び"を知らないのだ」というようなもの)の一部として、批判することができるだろうか。あるいは、アデルは本質的にレズビアンであったかどうか、といったことを問うことが倫理的でありうるか、倫理的であるとして、問いとして成り立つ問いでありうるのだろうか。

選ぶことができるものは結局ひとつしかないということを、そして実際にひとつのものを選んだということを、それ以上の意味に解釈するべきではないと思うけれど、じゃああなたはどこかで嘘をついたとしても、それを少しは信じているということになるのだろうか。何かを信仰すること。何かを信じるということは、何かを信じるということ、それだけであって、何かを正しいと思うことでも、他の何かを間違っていると思うことでもないということを知ること。

たとえば、他人が存在することを、恋という心の動きが存在することを信じてみたいと思う。ある人が誰かに恋をしているということを知る。わたしはそれを「ある人が誰かに恋をしている」という言葉として知る。わたしはその言葉の奥にあるものが実際に世界であることを信じてみたいと思う。わたしは言葉が信用ならないものだと思っている。誰かの言葉が、誰かの意図によって信用ならないものになるのではなく、すべての言葉が、すべての言葉そのものによって信用ならないものになってしまうのだということを「言語の憎しみ」と呼んでいて、そのことについて考え続けている。

たとえば、映画『ナチュラルウーマン』のラストで力強く「オンブラ・マイ・フ」を歌うダニエラ・ベガの姿を信じてみたいと思う。ナチュラルに生きること——女性として生きること——トランスジェンダーとして生きること、がほんとうに変換可能なのだろうかと思ってしまうけれど、それでもその姿が何かの希望であるように思いなしてみることも、あるいは可能なのではないかと考えてしまう。自分の身体を引き受けることも、自分の身体を誤りであると思うこともわたしにとってはナチュラルなことではありえないとしたら、わたし自身にとって「ナチュラル・ウーマン」であるとはどういうことか?

変身すること、狂うこと、自分自身に対して革命を起こすこと、正しいところへ辿り着こうとすること、正気であること、自分自身に対して嘘をついているように感じること、他人に対しても嘘をついているように感じること。自分自身が何者であるかについて沈黙すること、話すこと、固定すること、沈黙していると誰かに固定されてしまうということに気づくこと。自分自身の内側で燃えている炎がない、わたしを突き動かすものがない、そのことに気づいたときに自分が自由であることを、同時に自由でないことを知ること。

だから自分について語ることはそんなに気軽なことではない。

漫画『放浪息子』に出てくる「なんか あの ごめんなさい 全然お母さんのなってほしいかんじの息子じゃなくて……」という謝罪のような台詞のことをときどき考えることがある。そのあとに「わたしのなにがわかんのよ あんたに」と言って泣き崩れる母親のことも。二鳥修一は女性として生きていくことを決意していて、そのことを母親がどう思うか想像しながら、その台詞を言っていて、母親の視点からの描写は(おそらく)全巻通じてほとんどなく、わたしたちの誰にも母親の気持ちはわからないということに改めて、わたしは気づくまでもなく気づく。

あるいはそうした暗い決意をもつこと、それを人に伝えること。自分が何かであると思った途端に安堵と喜びが訪れて自分が不定形なものから奇妙な形に固まったものへと変化して、そのあとではその形そのものがはじめから自分であったように感じること。原因と結果の二項対立は脱構築の方法のなかではもっとも典型的な対象のひとつだけれど、わたしはその決意とわたしの今の形について何ひとつ自信をもって述べることができない。名前をもつことによって少しずつ絶対的なものでなくなっていくように思いながら、名前によって何かを信じるようになることがあるのだと気づくことがある。

とりあえずいったん死ぬことにしてみて、天国かどこかで神に対して、わたしたちは苦しみました、わたしたちは泣きました、と言い立てることができれば、まあ、ずいぶん気楽でいいですね、ということになるのだけれど、人にやさしくすることを本当に大事にしたいなら死ぬのだってそれに反することだというのは当たり前のことで、都合がよかろうと悪かろうと、生きていることの不安は問題にされ続けるのだと思う。生活のいろいろな細部、布の感触、葬式のどうでもいいくだり、そうしたものをめぐって生きていくということを、さまざまな絶対的な感情とつきあわせること。