雑記帖

存在します

わたしたい

このまま歩いていけばどこまでも遠くに行くことができてずっと帰ってこないことができるということに小さいころ初めて気がついた瞬間があってすごく怖かった。家の近くには森があって森の中にも道があって道の先にはまた道があった。学校の背後には峠があって峠の頂上には人の家があって峠を越えた先にも人の家があった。わたしの家ではなかった。眠っている親と親の死体の区別ができなかった。眠っている自分と自分の死体の区別もできなかった。高いところから落ちて頭を打って血が出て病院に運ばれたときに簡単にすべてのものは壊すことができるということがわかった。簡単に壊すことができる。のこぎりの使い方を次第に覚えた。のこぎりの使い方は学校で教わった。左利き用のはさみを買った。虫が葉を食べて鳥が虫を食べて鳥が鳥を食べてわたしはナイフが使えるようになっていた。わたしは関係がなかった。意味のない話をしていた。すべてのものを簡単に愛することができたのですべてのものを簡単に愛さないことができるということもわかった。夜が明けた。朝家を出て夜家に帰ると朝から夜までこの家には誰もいなかったことがわかってここは人の住む場所ではないと感じた。布団にくるまったわたしを暖めているのはわたし自身の熱なのだということを知った。4階に住んでいたときも3階に住んでいたときも2階に住んでいたときも床と天井がなくなって地面から無数に生えた針にわたしは突き刺さった。心臓の位置がわかった。わたしは自分をうまく丸めて坂の上から転がした。わたしは道をずっと転がっていってわたしはそれを追いかけるけれどわたしはどんどん速くなってわたしは追いつけなかった。植物に名前がないようにわたしにも名前はなかった。手洗いに立った夜の3時にもう何もないような気がして階段の途中に立ちつくしていた。追われているような気がして急いでドアを閉めた。遠くから音が聞こえた。10時間前には山の頂上にいたことがわかった。寝ている人の体を踏みつけないように寝床にもどって眠っていたときの体の置き方を必死に思い出そうとしていた。

死んだらすごくさみしいかもしれないね。死んだらすごくさびしいかもしれない。わたしはきっときみのことを忘れるだろうし、ときどききみはわたしのことを思い出して泣くけれど、わたしはたぶん泣けないな、だってさ、きみは基本的にいつも笑顔でいようとするだろうし、たぶんそうできるだろうし、わたしはそれがなんだかもう、初めから死んでいるのと同じなんじゃない、って気がするんだ。そんな気がする。霊柩車にエンジンがかかる。わたしがむかし生まれてこんなに大きくなりました、みたいなのはさ、結局むかしの地球には恐竜がいました、みたいな話とぜんぜん変わりがないことなんだろうと思うんだ。きみの友達に悲しいことがあったらきみは相談に乗ってあげて、わたしに悲しいことがあったらやっぱりきみは相談に乗ってくれて、そうしているうちにきみは死んでしまって、そしてきみはそこではじめて、死ぬってのはこういうことだったんだとわかって、まわりのみんなが悲しんでるってことのほんとうの意味を知るんだ。死ぬんだよ。大きい橋を渡っているときにここから落ちたらちゃんと死ねるのかなと思ってちゃんとってなんだと思ったよ、きみはそのうち泣くのをやめるだろうし、それは泣きやむって言うんじゃなしにさ、たぶん泣いていられる長さにも限界があることを知るってことなんだ。せーので棺桶を持ち上げる。生きていたころのことがなつかしいね、あのころはわたしたちみんなでずっと何かの演技みたいなことをしていたね、わたしがこんにちはって言ったらきみもこんにちはって言ってわたしは泣きそうだったよ、そのときもさ、そうやって流してる安い涙をきみが死んだときにも同じように流したんだ、気持ちなんてものは関係がなかったってことなんだよ。車を何時間も運転して死人の家に向かう。食事をするたびにばかにされてるみたいな気分になるんだよ、ほんとうは死ぬってのがどういうことなのかなんてぜんぜんわかってないくせに、箸が上手に使えるくせに、塩とこしょうと白だしで料理の味をととのえてたりしてるくせにそんな死人みたいなさびしそうな顔をしてって自分で自分に言ってるんだよ、自殺のまねごとばっかりしやがって、って。

あなたに救われたと思っているようにはあなたに救われたわけではないのだろうと、やや屈折したかたちの思いを抱いています。あなたが生きていてどこかで生活を築き、猫を可愛がり、お金を寄付し、花瓶に花を挿し、煙草をゆびさきが熱くなるまで吸って、天井に向かって手をのばしてすこし跳んでみせる、そうしたことを想像するたびに、あなたがまだ生きているということが驚くほど脆い事実であるように思えてなりません。あなたはきっといつか死んで、この世からあなたであったものが跡形もなくなり、月の表面のようにあなたのことを想像する、そうしたときにはじめて、あなたのことを不安に思わずに暮らせるようになるのではないかと、そのような死者に親しむような思いが浮かぶほどです。あなたの家の近くにあるコンビニの店員はあなたが来なくなったことに気づかないでしょうね。あなたの家の猫は、誰かにもらわれていくでしょうか、それとも猫があなたよりも先に死ぬのでしょうか、あなたは猫を飼いはじめるときにそういう覚悟をどこかにもっただろうと思いますけれど、きっともしかしたら誰かと友人になろうとするたびに、そのような死者の一部が覚悟としてあなたの心に棲みつくのかもしれませんね。遠くを見つめるまなざしが未来を見つめるような、死者を見つめるようなまなざしに近づいてしまうのはどうしてなのでしょうね。あなたが死んでしまった人のことを語るとき、あなた自身もすこし死者になっているように、誰かが失恋したことをあなたが話すときには、あなた自身もすこし失恋しているのだろうと、そう思ったのです。だからあなたはすこし慰められるような顔つきになって、どこかに取り返しのつかない瞬間があってそのありかを知っているように、生まれるのも死ぬのもたった一度きりなのだということをやさしく教えるように、あなたは笑うのです。それが誰かの救いになったかもしれないということをあなたは知っていて、それを知っているあなたのことを知ることこそが救いであったように思うのですけれど、これではやはり屈折しすぎているのかもしれませんね。あなたがまだ生きていることがわかって、それでも、とても嬉しいです。わたしはあなたが生きていることを知った。