雑記帖

創作以外のことを書きます

好きな曲を淡々と紹介する②: BUMP OF CHICKEN

2本目です。何本まで増えるかは今のところはっきりしていません。今回はBUMP OF CHICKEN限定です。アーティスト縛りは多分そのうち米津玄師とThe Beatlesをやりますが、それよりも先に洋楽全般をやるとは思います。既にお気づきの人は当然ながら既にお気づきかもしれませんが気づいていない人はこれから話すので聴いてください。今回は動画リンクを貼っていません。というのは公式動画がない曲が多いからです。理由は以上です。それではどうぞ。over。

1. ベンチとコーヒー (2002)
アルバム『Jupiter』収録。そういえば初めてJupiterを通して聴いたときは声の小さいボーカルだなあと思ったものですが、ダンデライオンとこの曲(と天体観測)は声が聴こえたのでなるほどという感がありました。敬語で誰にともなく述べるような歌詞が良いです。

2. レム (2004)
アルバム『ユグドラシル』収録。藤原基央氏はこの曲を1人でこっそり録ったとか何とか。辛辣な歌詞を優しいメロディやポップなメロディに乗せてくれるのはBUMPの特徴という感じがしますね。狂ったふりが板について、と言える言葉の強さは本当に凄い。

3. flyby (2007)
アルバム『orbital period』収録。一番最後の曲。短い。この曲が単体で好きなのか全体を聴いた上でこの位置にあるから好きなのかは果たしてよく解らない、ただ良い曲ではあるので別にそれで良いという感じはします。忘れても構わない、忘れないから、とこの頃は言っていたのですが、後の方になると忘れても思い出せたり忘れたって消えなかったりしますね。

4. プレゼント (2008)
アルバム『present from you』収録。歌詞が、良い、よね。そもそもこの曲はアルバム『THE LIVING DEAD』のOpeningとEndingをくっつけてできているのですが、Endingのからっとした感じはサウンドとしても素晴らしいと思います。まあ、いいや、の後のあたりです。

5. HAPPY (2010)
アルバム『COSMONAUT』収録。16枚目のシングル曲。どうせいつか終わる旅を、という表現はどうやったら思いつけるのだろうなと思いますが未だに解らないままです。初めて聴いた曲はこれだった気がしています。そうしてついでに書いておくと、アルバムあたりの曲制限をつけようかとも思ったのですが今回は偏りがあまりに激しいためかえって相応しくないと思ってやめました。見れば解るように、アルバムで薦めるなら私はCOSMONAUTを薦めます。

6. pinkie (2010)
シングル『HAPPY』収録。藤原基央氏の歌い方はキャラバンのように苛烈なものから魔法の料理のように語りかけるものまで多種多様な訳ですが、この曲や友達の唄のように呟くように歌うのが私としては好きです。サビが潔いのが美しい。

7. 宇宙飛行士への手紙 (2010)
アルバム『COSMONAUT』収録。18枚目のシングル曲。割と歌詞にやられているところがあります。匂いもカラーで思い出せる、とはどういう風に書ける言葉なんですかね。感想がこのような感じのものばかりで微妙なのですがちょっとした表現の凄みは聴きどころだと思います。中学校の頃は一番よく聴いていたという気がしますね。

8. beautiful glider (2010)
アルバム『COSMONAUT』収録。おそらく聴き始めてから今に至るまでで聴いた回数は最も多い曲です。半分くらい何かを諦めているような雰囲気の歌詞とギターの穏やかそうで弾いてみると全く穏やかではないところなどは驚くべき曲ですね。歌詞に訂正が入ったことがあったのですが、「疑った手でつかんで」の方がらしいよなあと納得できはするものの「疑ったって手掴んで」も良かったなあと時々思い返しています。

9. セントエルモの火 (2010)
アルバム『COSMONAUT』収録。セントエルモの火は一部界隈では存在だけが有名なようですね。ともあれ。「どうでもいいけどさ 水筒って便利だ」のところは、Stage of the groundへの言及というのもあるでしょうが、そうでなくても絶妙だと思っています。イントロの美しさが他の比ではないと贔屓目に見て思っているのですがどうでしょうか。

10. 友達の唄 (2011)
アルバム『RAY』収録。19枚目のシングル曲。映画ドラえもんの主題歌でしたね。GOLD GLIDER TOURのライブ映像を見たときにはこんなに凄い曲だったか、と驚いた記憶があります。ストリングス多めなのは良いと思いますし最後にギターを残すところはもっと良いと思います。歌詞には少し濁ったような残酷さの変奏があって不思議な曲です。

11. ディアマン (2012)
シングル『グッドラック』収録。タイトルには多分ダイヤモンドの意味もあります。2012年にもなってこの歌詞を書けてしまうんだから本当にどうしようもないなあという気分です。歌詞の(良さとは少し違った)凄みという意味ではプレゼントとの二大巨頭です。私の中で。サウンドがシンプルな分リズムの刻みでぐらぐらしますね。こういう曲がもう一回聴けたら幸せという感じです。

12. ray (2014)
アルバム『RAY』収録。rayです。発表当時は初音ミクとのコラボもあってざわざわしていたのですが今はどうなんでしょうかね。私は幸いボーカロイドに対してアレルギーなどはなかったので何ともありませんでしたが。ただその頃から原曲の方が好きだというのには変わりありません。おそらくは単純に藤原基央氏の歌いが好きなのだろうと思っています。サウンドがポップなので変化を感じた人も居たのかもしれませんがサウンドと歌詞の関係と、歌詞と、というところを見ればやはり変われなかったシンガーなのだなと思えるところです。以上です。

生卵を生のまま食べる

食べません。

何の話かというとレトリックの話です。今朝に布団でぼーっとしていると某氏が生卵を生のまま食べていたのを思い出しまして、そのことを頭の中で「生卵を生のまま食べる」と描写した訳ですが、そもそも生卵を生でない形式で食すのは不可能ではないですか。生卵を生のまま食べない場合、必然的に加熱なり発酵なり(発酵は嫌だな)することになりますが、そうした調理を施した場合それはもう生卵ではない訳です。それは茹で卵であったりピータンであったりする訳ですが、つまりここで問題になるのは生卵を食べるというのは必然的に生卵を生のまま食べるということを意味することになるということです。じゃあ「生卵を食べる」と言えば良いのではないですか。いやでも別にそういうことを言いたかった訳ではなかったような、私が言いたかったことは「生卵を食べる」ではなくて「生卵を生のまま食べる」だった気がする訳です。別に「卵を生のまま食べる」と言ってしまってそんなに問題がある訳ではありませんが、しかし「卵を生のまま食べる」という言葉は卵の食べ方における幾つかの選択肢の中から「生のまま」という方法を選択したという感が強いのに対して、「生卵」という言葉には調理されるべきものという響きがあり、それを何と生のまま食べるのか、ということが言いたかったのだと、そういう訳です。

「生卵を食べる」というのはまあそういうこともあるなという程度の感想でしかない訳で、そういうことを思ってそういうことのようなことを言った訳ではないのにそれと実質的に意味が同じであるというのはどうなのか、と考えることになりますが、要するに言いたいことはこれがレトリックであってレトリックは冗長ではなく内容が増えるから表現としても分量が増加して当たり前なのだと気づくことになる訳です。以前ツイートした「幸せなら手をたたこう」と「幸せなら手をたたこう、幸せなら。」との違いも恐らくは関係のある話であって、意味は単位の組み合わせではないという話です。

生卵に関して申し添えておくならば、「生卵を食べる」という表現では問題になっているのは「食べる」ということになるので、つまり焦点は食べるか食べないかということになる訳です。それに対して「生卵を生のまま食べる」は「生のまま」が焦点になる訳で、これが上記二者の違いです。「卵を生のまま食べる」との違いは上で述べた通りです。

結局のところ、あなたが「生卵(あるいは卵)って……」と人に話しかけたときに「生卵?食べるよ?」や「生卵?生のまま食べるよ?」や「卵?生のまま食べるよ?」と応答されたとき、それぞれあなたがどう思うかについて考えるということが文章を理解するということではないですか。どうでしょうかね。

知識について

はじめにテーゼを1つ挙げておくと、知識はそれ自体では没価値的である。さらに言えば、何かを知っているということも、社会的にはそれ自体では意味のないことである。

 知識の問題は、誰にも知られていないものは知識ではなくなるということである。例えば、誰も持っていないとしても5000兆円は価値のあるものである。しかし、誰も知らないことは無価値である。また、他の誰もが知らず自分一人だけが知っているものも同様に意味がない。何故なら、その「知っていること」は所定の権威付けの手続きを経ない限りは他者には承認され得ないし、そのように自分からは主張しない場合他者がそれにアクセスしてくることはあり得ないからである。

人が知らないことを知っているというのは凄いことだと一般的には思われている。しかし、その人の知っていることが知識であると判定出来るのは、そのことを他の誰かが知っているか、あるいは他の知識と照らし合わせて確からしいと思えるからである。例えば、オセアニアのある島の中だけで続いている伝統があるとして、外部からやってきた人がその伝統について知ったとする。そのことをその人が他の誰かに伝えたとして、もしも伝えられた相手がその人がその島に行ったことがあることを知っており、またその人が息をするように嘘を吐く人ではないと知っているならば、その情報を確からしいと判断するかもしれない。あるいは全く他のことを知らないとして、インターネットでそうしたことを調べてみて何も出てこなかったとしたら、その人は疑われるだろう。ダーウィンは進化論を提唱したが、人間が進化してきたということを知っていた訳ではない。訳ではないが、確からしいと思われている仮説ではある。こうしたものを擬制的に知識として承認するステップは実のところ曖昧である。

結局のところ、知識はコミュニティのものである。勿論、(主にインターネットの作用によって)多くのコミュニティで共有されている知識の方が今日は多いが、それでも知識はコミュニティ内のものである。知るという作用で生まれる知識は、知られているという作用によって検証するしかなく、知られていることが誤っている場合は検証の仕方も同様に誤った形になるしかない。

というのは大体において地獄であるが、それが別に現実世界でないという理由はないのであった。

左利きであるとはどういうことか

少し個人的なことを書きます。とはいえ「考えごと」カテゴリに位置する時点である種個人的なことではあるのですが。

先だってこのようなツイートをしました。

「右」の定義を「箸を持つ方の手がある側」と書いてしまって痛くも痒くもないのがマジョリティであるということです。そんなものです。

以前にはこのようなツイートをしました。

小さい頃は「自分は不器用だからパンケーキも上手く返せないし改札でももたつくんだ」みたいに思っていたのだが、左利きだからだと気付いたときにはちょっとイラっとした。

またこのようなツイートもしています。

結局人の気持ちなんて実感できないと思うんですよ、性差別まで行かなくても、車椅子体験でも毎日の地下鉄の乗降の大変さは解らないし、学校で貸出しているハサミが全て右利き用だったときの絶望感とか、実感できないのは鈍感ではなく当たり前だから、むしろ自らの想像力の貧困さに思いを致すべきだと。

これらは全て左利きに関する話です。そうして念のため表明しておきますが私は左利きな訳で、それに関する話を(自分の中で論点を分散させないために)しようと思います。一つ前提として、私には「右利きであるとはどういうことか」が解りません。また、私は野球で打席に立つ際は右打席に立つので、厳密に言えばクロスドミナンスです。

まず、先だってのツイートをした経緯についてですが、直接のきっかけはこの記事を見たからです。

「右」って定義できますか?画像は禁止で。【あしたはげつようび】 | quizknock

この中に、

よく聞くのが「お箸を持つ方の手」。これではだめだろう。宇宙人は左手で米を食べているかもしれない(そもそも宇宙人がお箸という文化を持っているかも怪しい)。

とありました。言いたいことは大体解ると思います。一応述べておきますが、この記事は良い記事だと思いますし、引用部分の記述に修正の必要があるとも思いません。ただ単に、「宇宙人は」か、ふむ、と私が思ったというだけです。

まあ左利きであるとは概してそういうことです。悪意よりもそういったことで気づくことの方が多いし、悪意でないから責められるものでもなければ私に責める気がある訳でもありません。少し解りやすいエピソードとしては、私が小学生だった頃に友人の家に遊びに行き、そこで友人の恐らくは祖母に当たる人物に左手での食事を咎められた、という記憶があります。より正確には、右手での食事を推奨された、ということです。そういうこともあります。その時は戸惑っただけでしたが、もしも何度もそういったことがあればスティグマ化していただろうことは想像に難くありません。

幸か不幸か世間的には左利きを羨ましがる風潮も存在し、そのお陰でスティグマ化は避けられています。ただ、混乱はします。自分の器用な手が左手であるということが他人にとってどのような意味を持つのかはよく解りませんでしたし、今もよく解りません。それは私が右利きではないからで、恐らくただそれだけです。スティグマ化はしませんが、アイデンティティ化はします。右利きの人は多分、右利きなんだね、と言われたことはないと思います。別に、左利きなんだね、と言われることが嫌であるとか不快だとかそういうことではありません。強いて言えば大体において慣れたので特に何も思いません。羨ましがられると多少混乱はしますが。

時々、なおされなかったんだね、と言う人もいます。「なおす」に相手がどちらの漢字を当てているのかは解りませんし、「なおす」という響きには少し釈然としないものもありますが、まあそうだね、と首肯するだけです。だからどうという訳でもなく、別にその言い方に取り立てて深い問題があるとも思いません。まあ解りやすい言い方だろうなあと思うだけです。

今はそんなに左利きであることを主張したいとも思わない訳ですが、地球人だって左手で米を食べるよなあということをわざわざ書くくらいの気持ちではあるということではあります。まあそもそも、宇宙人に手があるのかどうかという話もありますしね。一々そういう細部に拘っていてどうにかなるようなものではない訳です。ただまあ、時々透明にされるというのは、ちょっとした恐怖を伴うものではあるということだけ書いておきます。以上です。

好きな曲を淡々と紹介する①: ボーカロイド

はい。私が好きな曲を淡々と紹介するためにこの記事は書かれています。したがってではないですがこの記事には私の好きな曲の淡々とした紹介以外には特に何もないです。因みにどうしてここにおいて音楽の趣味を吐露していくのかというと、別に吐露するためにやっているわけではなくただ単に自分の中で整理したいという気持ちがなんとなく湧いてきただけです。行きましょう。記念すべき訳でもない1回目の今回はすべてボーカロイド曲です。時代順に並べました。理由は後述します。

制約のようなもの
・12曲±0
・カテゴリーを決めて選ぶ
・2016年までに発表された曲から選ぶ

1. 想像フォレスト / じん feat. IA (2012/2/1)

【IA】想像フォレスト【オリジナルPV】 - niconico
自然の敵Pことじんの5作目にしてカゲロウプロジェクトの5曲目。空想フォレストというアレンジ違いの別ヴァージョンがある。IAの声が良いというのは後に出てくる曲に関しても全体にあるのですが、この曲は特に歌詞の喋り方が好きです。もしもこのまま紹介を見ていけば解ると思いますが私は傾向としてピアノ曲が好きです。

2. Redial / livetune feat. 初音ミク (2013/3/20)

livetune feat. 初音ミク「Redial」Music Video - YouTube
livetuneことkzの曲。アルバム「Re:dial」のための書き下ろし。Tell Your Worldの方も紹介しようかと思ったのですがまあここに書いておけば十分だろうと思ったので今このようにここに書きました。実のところこの曲を知ったのは割と最近で、Twitter上でPCのデスクトップを動画に出来るソフトを紹介しているツイートがあり、そのツイートで紹介されていたのがこのMVの一部分の初音ミクがベッドの上で飛び跳ねたりこちらを覗き込んだりしているところだったという寸法。良い曲。オートチューン加工は他の曲では時々どうかなと思うときもあるのだけれどこの曲では素晴らしいですね。そういえば、曲の年代を見てもらえれば解るかとは思いますが私がまともにボーカロイド楽曲を聴き始めたのは2014年以降です。

3. ツギハギエデン / sasakure.UK feat. GUMI (2013/6/5)

sasakure.UK - Patchwork Eden feat. GUMI / ツギハギエデン feat. GUMI - YouTube
アルバム「トンデモ未来空奏図」収録。因みに今回はジャンルも大きいのでアーティスト1人あたり2曲までという制約を自らに課したのですが、2曲選んだのはsasakure.UK、ピノキオピー、n-buna、Orangestarの4人です。この曲は初めて聴いた時には何だか気持ち悪いなあと思ったのですがまあ気づけば何回も聴き返しております。そんなものです。SFが好きです。

4. About me / 蝶々P feat. GUMI English (2014/2/5)

【GUMI English】 About me 【オリジナル曲】 - niconico
この曲は普通に高2のときに知りましたね。詳細は書くのが面倒なので割愛。ピアノ良いですよね。よね、と言いつつももしもこの記事を読んでいるそこの貴方が曲を聴かずに文章だけ読んでいたら私のこの同意を求めるためのよね、は宙に浮いてしまって、というよりはそれ以前にそもそも文として前提という意味でのコンテクストが成立していないのでややもすると非文になってしまう訳ですが。ピアノ良いですよね。歌詞はまあ歌詞だなあって感じですね。

5. すろぉもぉしょん / ピノキオピー feat. 初音ミク (2014/5/27)

PinocchioP - SLoWMoTIoN feat.Hatsune Miku /ピノキオピー - すろぉもぉしょん - YouTube
ピノキオピーの57作目。らしい。私にとっては初めてのピノキオピーの曲。この曲を聴いてボーカロイドは凄いなあと思った記憶があります。2番サビの「忘れちゃいけないこと以外は どうでもよくなりゃいいのに」がどう転んでも好きです。これは聴きたての頃は殆ど毎日のように聴いていた気がしますしそのせいか最近はあまり聴いてはいないのですがやはり好きです。

6. アンチグラビティーズ / sasakure.UK feat. GUMI (2014/7/29)

sasakure.UK - Anti-Gravities feat. GUMI / アンチグラビティーズ - YouTube
アルバム「トンデモ未来空奏図」収録。MVのイラストが植草航さんということでその時点でもうまあ好きなのですが(植草さんは少し前に解散したカラスは真っ白というバンドのMVも幾つか手がけていますので良ければご参照あれ)、この曲は良い曲ですね。サビが盛り上がり切らないのがどうしようもない感じがしてかえって効果的だと。因みに、sasakure.UK氏はボーカロイドだけでなくヒトにも曲を提供しておりまして、私はクレイマーズ↑ハイとか、一番街コスモナウトとか大体好きです。

7. 夜明けと蛍 / n-buna feat. 初音ミク (2014/11/11)

【初音ミク】 夜明けと蛍 【オリジナル】 - YouTube
アルバム「花と水飴、最終電車」収録。最高の夏にしよう2014冬。初めて聴いたときは「朝が来ないままで息が出来たなら」のところで、ボーカロイドにこんな声が出るのか、とびっくりしました。びっくりしたというか身体が震えました。因みに音低いし意外と歌えるのではないかと思ってカラオケで歌おうとしてみたら全然歌えませんでした。そんなものです。これは本当に声の調教が凄いのだなあと逆に解りました。

8. 残灯花火 / Orangestar feat. 初音ミク (2015/7/25)

【初音ミク】残灯花火【オリジナル】 - YouTube
蜜柑星PことOrangestarの19作目。同日に英語版歌詞の「Lingering Fireworks」が発表されている。ギター。ギターすごい。他に言うことはない。いやある。Aメロの声が途切れずに流れていくところで徐々に曲の深みにはまっていく感じがします。それから、MVは初めは一緒に見てほしいのですが、その後MVなしで聴いてみるとギターの凄みがわかると思います。

9. 始発とカフカ / n-buna feat. 初音ミク (2015/8/31)

【初音ミク】 始発とカフカ 【オリジナル曲】 - YouTube
アルバム「花と水飴、最終電車」収録。アイラにするかメリューにするかウミユリ海底譚にするか他に色々考えましたがまあ始発とカフカでしょうということです。ということですってどういうことですかね。この曲については何かを色々説明しても仕方がない気がするのですが別に『変身』は読んでいなくても理解の可不可に関わりはないと思います。伝えたいことしかない、という修辞は良いですね。n-buna氏は最近ヨルシカというユニットというかプロジェクトというかを始めまして、そちらはヒトの声なのですが良い曲が多いのでおすすめです。

10. hanauta / ピノキオピー feat. 初音ミク (2016/2/23)

PinocchioP - hanauta / ピノキオピー - YouTube
ピノキオピーの1作目「ハナウタ」のリメイク版。どうしてこっちを持ってきたかと言うとアレンジとしてはこちらの方が私は好きだと言うのと、1作目の方を先に聴くと(主にサムネが原因で)曲が入ってこないと思われるからです。ですので1作目を聴きに行く場合は先にこちらを聴いてから行ってください。ふんふんふふんふふんふんふふん。シンプルで穏やかではなく可愛らしい良い曲。ピノキオピーに関してもありふれたせかいせいふくとか、ニナとか、色々あったのですがまあこれです。これだというのはまあ私の心情の問題です。より正確に言えばこれらの曲のリストは私の心情に基づいて作られています。

11. 脱法ロック / Neru feat. 鏡音レン (2016/6/19)

[OFFICIAL VIDEO] 脱法ロック(Law-evading Rock) / Neru feat. Kagamine Len - YouTube
押し入れPことNeruの代表曲。MVの意味不明さは名高い(が私の中ではgroup_inou「THERAPY」には及ばない)。ロストワンの号哭の方がもしかすると有名なのかもしれませんが私はこちらの方が好きです。受験期の通学中に中田ヤスタカ feat. 米津玄師「NANIMONO」と並ぶ高い頻度で聴いていました。何故かは解りませんがとにかく聴いていたというそのこと自体は事実として投げ出されています。まあ全体に意味不明なのですが元気になるので悪くないですよ。

12. DAYBREAK FRONTLINE / Orangestar feat. IA (2016/12/3)

DAYBREAK FRONTLINE / Orangestar feat.IA - YouTube
蜜柑星PことOrangestarの24作目。らしい。後述すると書いたことをここで記述する訳ですが、時代順に並べたのはこうすればDAYBREAK FRONTLINEが最後に来るなあと気付いたことによります。まあサカナクションだってsakanactionの中で「朝の歌」を最後に置いていますし、そんなものではないですか。ピアノとテンポとメロディーラインと歌詞と声と、大体全てにわたって好きです。発表後から割とひたすらに聴いているのではないですかね。周囲の人がそもそもOrangestarをあまり知らないのでなかなか紹介はし難いですが。しかしまあどうしたって良い曲なので聴いてください。以上です。

大阪で円城塔&田辺青蛙のトークショーを見てきた

少なくともこのブログをご覧になっているような方々はご存知かとは思いますが私は今現在日本の中でも東京と呼ばれるところに住んでおりまして、そうして円城塔さんと田辺青蛙さんは大阪に住んでいる訳でありまして、したがいましてトークイベントは必然的に大阪で行われる訳です。そうしてまあこれもまた不運というものか我々の住んでいる世界は距離空間でありまして、歪みの少ない空間内ではそう簡単には移動を行うという訳にはいかないのでした。

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貨幣経済ですし。

いや、でもまあ、行くでしょう。明日ラテン語とフランス語のテストがあってもまあ行くでしょう。貨幣経済ですし。

という訳で大阪に行ってきた訳です。簡単に旅程を述べると:

7時過ぎ: 家を出る

10:30頃: 大阪に着く。こんなに早く来る必要はなかったということに遅まきながら気づく。

11:00頃: スターバックスで読み込みをする。

11:40頃: はたと思い立って観光に出る。梅田スカイビル空中庭園に登る。高い。1つ言えるのは一番面白いのは35階まで登るエレベータであるということ。

12:30頃: お昼御飯を食べる。

13:00-13:45: 本屋でそわそわする。

13:45-14:00: 待機しながらそわそわする。

14:00-15:00過ぎ: トークショー&サイン会。

15:30頃: 色々と満たされてしまったので大阪駅のベンチで動けなくなる。

16:00頃: 帰ることを目指し始める。

19:30頃: 帰宅。

という訳です。まあそんな訳で中身は薄そうに見えるのですが実際はそうでもなく結構歩いたり笑ったり飛んだり跳ねたりしていました。

それで主眼はトークショーな訳です。まずもって円城塔氏(本物)を見るのが初めてだったので実在したんだなあといった気分になりつつ、飽きない夫婦漫才が割とずっと続きましたが私は殆どずっと笑っていました。左の方には上半身を仰け反らせて呵々大笑している方もおり、そこまで笑うかといった気分にもなりました。ええ、はい。お互いにお互いを混ぜっ返す感じが良いです。来て良かったなあと考える訳です。家にはサインのない『読書で離婚を考えた。』が1冊あり、手元にはサイン入りの『読書で離婚を考えた。』がある訳です。どなたかサインのない方を欲しい方はいらっしゃいますかね。この際ただであげますよ。

まあそんな訳で遠征の価値はあったのでありまして、それでいてラテン語をやる必要はある訳です。貨幣経済はこの際関係ないです。

 

ドゥブロヴニクに行きたい

ドゥブロヴニクに行きたい。

とはいえ、別にこの記事は私のドゥブロヴニクへの愛を吐露するものではない。ドゥブロヴニクが何であって何ではないのか知りたい場合はドゥブロヴニクについて調べてくれればいいし、念のため述べておくと私が行きたいのはクロアチアにある世界遺産の都市ドゥブロヴニクつまりDubrovnikであってスロヴェニアにあるよく似た名前の都市ドブロヴニクつまりDobrovnikではなく、ではないもののドブロヴニクのWikipediaを見てみるとドゥブロヴニクとの関係について「無関係で、近くもない」との記述があり別に近さの情報は要らないだろうとそう思ってドブロヴニクに少しだけ同情してほしいなどとは全く思っていない。

文構造は常に崩壊しているべきであり、タイトルと内容は乖離しているべきであるというのもまた当然の事実である。140文字に収まるならTwitterに書けば良いのであって、140文字に収まらないなら140文字に収める努力をすべきなのである。それでも140文字に収まらない時に初めてブログに書き得るというのは別にそうではなく、むしろ文字数に必然性をどれほど見出すのかということの方が重要なのだから結局それはそういうことなのである。あれがああいうことであってそういうことではないのはあれがあれであってそれではないからである。代名詞の話をしているときに代名詞の指示対象が代名詞だと考えてみて特に面白いことも面白くないこともないのである。

詩でないものを詩だと言い張るよりもただ何かが書かれたものを人に見せてみてそれを相手が詩だと思うならそれはそれでいいし詩だと思わないならまあ黙っていれば良いのである。トリストラム・シャンディが小説かどうかという話は冷戦が平和かどうかという話くらい気にされるべきではなくて、それは別に事実であるかとかそういうことではなくてそれよりももっとそれ自体が重要であるという事実がそこにそういう風にして存在するということに由来しており、結局のところそれらのそれらの指示対象が解らなくともこの文が理解可能であったというのはそれとは別の全然関係のない話であったりするのである。

ドゥブロヴニクが良いところであって欲しいと私が思っているかどうかに関してはそれほど定かではなく、ドゥブロヴニクドゥブロヴニクである以上私の中でそれは悪いところではありえないのである。丁度缶コーヒーが缶コーヒーである以上は不味いコーヒーであるように。

だからドゥブロヴニクは良いところなのであり、この文章は別にそういうことを伝えるために書かれてはいないのであった。