雑記帖

創作以外のことを書きます

左利きであるとはどういうことか

少し個人的なことを書きます。とはいえ「考えごと」カテゴリに位置する時点である種個人的なことではあるのですが。

先だってこのようなツイートをしました。

「右」の定義を「箸を持つ方の手がある側」と書いてしまって痛くも痒くもないのがマジョリティであるということです。そんなものです。

以前にはこのようなツイートをしました。

小さい頃は「自分は不器用だからパンケーキも上手く返せないし改札でももたつくんだ」みたいに思っていたのだが、左利きだからだと気付いたときにはちょっとイラっとした。

またこのようなツイートもしています。

結局人の気持ちなんて実感できないと思うんですよ、性差別まで行かなくても、車椅子体験でも毎日の地下鉄の乗降の大変さは解らないし、学校で貸出しているハサミが全て右利き用だったときの絶望感とか、実感できないのは鈍感ではなく当たり前だから、むしろ自らの想像力の貧困さに思いを致すべきだと。

これらは全て左利きに関する話です。そうして念のため表明しておきますが私は左利きな訳で、それに関する話を(自分の中で論点を分散させないために)しようと思います。一つ前提として、私には「右利きであるとはどういうことか」が解りません。また、私は野球で打席に立つ際は右打席に立つので、厳密に言えばクロスドミナンスです。

まず、先だってのツイートをした経緯についてですが、直接のきっかけはこの記事を見たからです。

「右」って定義できますか?画像は禁止で。【あしたはげつようび】 | quizknock

この中に、

よく聞くのが「お箸を持つ方の手」。これではだめだろう。宇宙人は左手で米を食べているかもしれない(そもそも宇宙人がお箸という文化を持っているかも怪しい)。

とありました。言いたいことは大体解ると思います。一応述べておきますが、この記事は良い記事だと思いますし、引用部分の記述に修正の必要があるとも思いません。ただ単に、「宇宙人は」か、ふむ、と私が思ったというだけです。

まあ左利きであるとは概してそういうことです。悪意よりもそういったことで気づくことの方が多いし、悪意でないから責められるものでもなければ私に責める気がある訳でもありません。少し解りやすいエピソードとしては、私が小学生だった頃に友人の家に遊びに行き、そこで友人の恐らくは祖母に当たる人物に左手での食事を咎められた、という記憶があります。より正確には、右手での食事を推奨された、ということです。そういうこともあります。その時は戸惑っただけでしたが、もしも何度もそういったことがあればスティグマ化していただろうことは想像に難くありません。

幸か不幸か世間的には左利きを羨ましがる風潮も存在し、そのお陰でスティグマ化は避けられています。ただ、混乱はします。自分の器用な手が左手であるということが他人にとってどのような意味を持つのかはよく解りませんでしたし、今もよく解りません。それは私が右利きではないからで、恐らくただそれだけです。スティグマ化はしませんが、アイデンティティ化はします。右利きの人は多分、右利きなんだね、と言われたことはないと思います。別に、左利きなんだね、と言われることが嫌であるとか不快だとかそういうことではありません。強いて言えば大体において慣れたので特に何も思いません。羨ましがられると多少混乱はしますが。

時々、なおされなかったんだね、と言う人もいます。「なおす」に相手がどちらの漢字を当てているのかは解りませんし、「なおす」という響きには少し釈然としないものもありますが、まあそうだね、と首肯するだけです。だからどうという訳でもなく、別にその言い方に取り立てて深い問題があるとも思いません。まあ解りやすい言い方だろうなあと思うだけです。

今はそんなに左利きであることを主張したいとも思わない訳ですが、地球人だって左手で米を食べるよなあということをわざわざ書くくらいの気持ちではあるということではあります。まあそもそも、宇宙人に手があるのかどうかという話もありますしね。一々そういう細部に拘っていてどうにかなるようなものではない訳です。ただまあ、時々透明にされるというのは、ちょっとした恐怖を伴うものではあるということだけ書いておきます。以上です。

好きな曲を淡々と紹介する①: ボーカロイド

はい。私が好きな曲を淡々と紹介するためにこの記事は書かれています。したがってではないですがこの記事には私の好きな曲の淡々とした紹介以外には特に何もないです。因みにどうしてここにおいて音楽の趣味を吐露していくのかというと、別に吐露するためにやっているわけではなくただ単に自分の中で整理したいという気持ちがなんとなく湧いてきただけです。行きましょう。記念すべき訳でもない1回目の今回はすべてボーカロイド曲です。時代順に並べました。理由は後述します。

制約のようなもの
・12曲±0
・カテゴリーを決めて選ぶ
・2016年までに発表された曲から選ぶ

1. 想像フォレスト / じん feat. IA (2012/2/1)

【IA】想像フォレスト【オリジナルPV】 - niconico
自然の敵Pことじんの5作目にしてカゲロウプロジェクトの5曲目。空想フォレストというアレンジ違いの別ヴァージョンがある。IAの声が良いというのは後に出てくる曲に関しても全体にあるのですが、この曲は特に歌詞の喋り方が好きです。もしもこのまま紹介を見ていけば解ると思いますが私は傾向としてピアノ曲が好きです。

2. Redial / livetune feat. 初音ミク (2013/3/20)

livetune feat. 初音ミク「Redial」Music Video - YouTube
livetuneことkzの曲。アルバム「Re:dial」のための書き下ろし。Tell Your Worldの方も紹介しようかと思ったのですがまあここに書いておけば十分だろうと思ったので今このようにここに書きました。実のところこの曲を知ったのは割と最近で、Twitter上でPCのデスクトップを動画に出来るソフトを紹介しているツイートがあり、そのツイートで紹介されていたのがこのMVの一部分の初音ミクがベッドの上で飛び跳ねたりこちらを覗き込んだりしているところだったという寸法。良い曲。オートチューン加工は他の曲では時々どうかなと思うときもあるのだけれどこの曲では素晴らしいですね。そういえば、曲の年代を見てもらえれば解るかとは思いますが私がまともにボーカロイド楽曲を聴き始めたのは2014年以降です。

3. ツギハギエデン / sasakure.UK feat. GUMI (2013/6/5)

sasakure.UK - Patchwork Eden feat. GUMI / ツギハギエデン feat. GUMI - YouTube
アルバム「トンデモ未来空奏図」収録。因みに今回はジャンルも大きいのでアーティスト1人あたり2曲までという制約を自らに課したのですが、2曲選んだのはsasakure.UK、ピノキオピー、n-buna、Orangestarの4人です。この曲は初めて聴いた時には何だか気持ち悪いなあと思ったのですがまあ気づけば何回も聴き返しております。そんなものです。SFが好きです。

4. About me / 蝶々P feat. GUMI English (2014/2/5)

【GUMI English】 About me 【オリジナル曲】 - niconico
この曲は普通に高2のときに知りましたね。詳細は書くのが面倒なので割愛。ピアノ良いですよね。よね、と言いつつももしもこの記事を読んでいるそこの貴方が曲を聴かずに文章だけ読んでいたら私のこの同意を求めるためのよね、は宙に浮いてしまって、というよりはそれ以前にそもそも文として前提という意味でのコンテクストが成立していないのでややもすると非文になってしまう訳ですが。ピアノ良いですよね。歌詞はまあ歌詞だなあって感じですね。

5. すろぉもぉしょん / ピノキオピー feat. 初音ミク (2014/5/27)

PinocchioP - SLoWMoTIoN feat.Hatsune Miku /ピノキオピー - すろぉもぉしょん - YouTube
ピノキオピーの57作目。らしい。私にとっては初めてのピノキオピーの曲。この曲を聴いてボーカロイドは凄いなあと思った記憶があります。2番サビの「忘れちゃいけないこと以外は どうでもよくなりゃいいのに」がどう転んでも好きです。これは聴きたての頃は殆ど毎日のように聴いていた気がしますしそのせいか最近はあまり聴いてはいないのですがやはり好きです。

6. アンチグラビティーズ / sasakure.UK feat. GUMI (2014/7/29)

sasakure.UK - Anti-Gravities feat. GUMI / アンチグラビティーズ - YouTube
アルバム「トンデモ未来空奏図」収録。MVのイラストが植草航さんということでその時点でもうまあ好きなのですが(植草さんは少し前に解散したカラスは真っ白というバンドのMVも幾つか手がけていますので良ければご参照あれ)、この曲は良い曲ですね。サビが盛り上がり切らないのがどうしようもない感じがしてかえって効果的だと。因みに、sasakure.UK氏はボーカロイドだけでなくヒトにも曲を提供しておりまして、私はクレイマーズ↑ハイとか、一番街コスモナウトとか大体好きです。

7. 夜明けと蛍 / n-buna feat. 初音ミク (2014/11/11)

【初音ミク】 夜明けと蛍 【オリジナル】 - YouTube
アルバム「花と水飴、最終電車」収録。最高の夏にしよう2014冬。初めて聴いたときは「朝が来ないままで息が出来たなら」のところで、ボーカロイドにこんな声が出るのか、とびっくりしました。びっくりしたというか身体が震えました。因みに音低いし意外と歌えるのではないかと思ってカラオケで歌おうとしてみたら全然歌えませんでした。そんなものです。これは本当に声の調教が凄いのだなあと逆に解りました。

8. 残灯花火 / Orangestar feat. 初音ミク (2015/7/25)

【初音ミク】残灯花火【オリジナル】 - YouTube
蜜柑星PことOrangestarの19作目。同日に英語版歌詞の「Lingering Fireworks」が発表されている。ギター。ギターすごい。他に言うことはない。いやある。Aメロの声が途切れずに流れていくところで徐々に曲の深みにはまっていく感じがします。それから、MVは初めは一緒に見てほしいのですが、その後MVなしで聴いてみるとギターの凄みがわかると思います。

9. 始発とカフカ / n-buna feat. 初音ミク (2015/8/31)

【初音ミク】 始発とカフカ 【オリジナル曲】 - YouTube
アルバム「花と水飴、最終電車」収録。アイラにするかメリューにするかウミユリ海底譚にするか他に色々考えましたがまあ始発とカフカでしょうということです。ということですってどういうことですかね。この曲については何かを色々説明しても仕方がない気がするのですが別に『変身』は読んでいなくても理解の可不可に関わりはないと思います。伝えたいことしかない、という修辞は良いですね。n-buna氏は最近ヨルシカというユニットというかプロジェクトとというかを始めまして、そちらはヒトの声なのですが良い曲が多いのでおすすめです。

10. hanauta / ピノキオピー feat. 初音ミク (2016/2/23)

PinocchioP - hanauta / ピノキオピー - YouTube
ピノキオピーの1作目「ハナウタ」のリメイク版。どうしてこっちを持ってきたかと言うとアレンジとしてはこちらの方が私は好きだと言うのと、1作目の方を先に聴くと(主にサムネが原因で)曲が入ってこないと思われるからです。ですので1作目を聴きに行く場合は先にこちらを聴いてから行ってください。ふんふんふぶんふふんふんふふん。シンプルで穏やかではなく可愛らしい良い曲。ピノキオピーに関してもありふれたせかいせいふくとか、ニナとか、色々あったのですがまあこれです。これだというのはまあ私の心情の問題です。より正確に言えばこれらの曲のリストは私の心情に基づいて作られています。

11. 脱法ロック / Neru feat. 鏡音レン (2016/6/19)

[OFFICIAL VIDEO] 脱法ロック(Law-evading Rock) / Neru feat. Kagamine Len - YouTube
押し入れPことNeruの代表曲。MVの意味不明さは名高い(が私の中ではgroup_inou「THERAPY」には及ばない)。ロストワンの号哭の方がもしかすると有名なのかもしれませんが私はこちらの方が好きです。受験期の通学中に中田ヤスタカ feat. 米津玄師「NANIMONO」と並ぶ高い頻度で聴いていました。何故かは解りませんがとにかく聴いていたというそのこと自体は事実として投げ出されています。まあ全体に意味不明なのですが元気になるので悪くないですよ。

12. DAYBREAK FRONTLINE / Orangestar feat. IA (2016/12/3)

DAYBREAK FRONTLINE / Orangestar feat.IA - YouTube
蜜柑星PことOrangestarの24作目。らしい。後述すると書いたことをここで記述する訳ですが、時代順に並べたのはこうすればDAYBREAK FRONTLINEが最後に来るなあと気付いたことによります。まあサカナクションだってsakanactionの中で「朝の歌」を最後に置いていますし、そんなものではないですか。ピアノとテンポとメロディーラインと歌詞と声と、大体全てにわたって好きです。発表後から割とひたすらに聴いているのではないですかね。周囲の人がそもそもOrangestarをあまり知らないのでなかなか紹介はし難いですが。しかしまあどうしたって良い曲なので聴いてください。以上です。

大阪で円城塔&田辺青蛙のトークショーを見てきた

少なくともこのブログをご覧になっているような方々はご存知かとは思いますが私は今現在日本の中でも東京と呼ばれるところに住んでおりまして、そうして円城塔さんと田辺青蛙さんは大阪に住んでいる訳でありまして、したがいましてトークイベントは必然的に大阪で行われる訳です。そうしてまあこれもまた不運というものか我々の住んでいる世界は距離空間でありまして、歪みの少ない空間内ではそう簡単には移動を行うという訳にはいかないのでした。

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貨幣経済ですし。

いや、でもまあ、行くでしょう。明日ラテン語とフランス語のテストがあってもまあ行くでしょう。貨幣経済ですし。

という訳で大阪に行ってきた訳です。簡単に旅程を述べると:

7時過ぎ: 家を出る

10:30頃: 大阪に着く。こんなに早く来る必要はなかったということに遅まきながら気づく。

11:00頃: スターバックスで読み込みをする。

11:40頃: はたと思い立って観光に出る。梅田スカイビル空中庭園に登る。高い。1つ言えるのは一番面白いのは35階まで登るエレベータであるということ。

12:30頃: お昼御飯を食べる。

13:00-13:45: 本屋でそわそわする。

13:45-14:00: 待機しながらそわそわする。

14:00-15:00過ぎ: トークショー&サイン会。

15:30頃: 色々と満たされてしまったので大阪駅のベンチで動けなくなる。

16:00頃: 帰ることを目指し始める。

19:30頃: 帰宅。

という訳です。まあそんな訳で中身は薄そうに見えるのですが実際はそうでもなく結構歩いたり笑ったり飛んだり跳ねたりしていました。

それで主眼はトークショーな訳です。まずもって円城塔氏(本物)を見るのが初めてだったので実在したんだなあといった気分になりつつ、飽きない夫婦漫才が割とずっと続きましたが私は殆どずっと笑っていました。左の方には上半身を仰け反らせて呵々大笑している方もおり、そこまで笑うかといった気分にもなりました。ええ、はい。お互いにお互いを混ぜっ返す感じが良いです。来て良かったなあと考える訳です。家にはサインのない『読書で離婚を考えた。』が1冊あり、手元にはサイン入りの『読書で離婚を考えた。』がある訳です。どなたかサインのない方を欲しい方はいらっしゃいますかね。この際ただであげますよ。

まあそんな訳で遠征の価値はあったのでありまして、それでいてラテン語をやる必要はある訳です。貨幣経済はこの際関係ないです。

 

ドゥブロヴニクに行きたい

ドゥブロヴニクに行きたい。

とはいえ、別にこの記事は私のドゥブロヴニクへの愛を吐露するものではない。ドゥブロヴニクが何であって何ではないのか知りたい場合はドゥブロヴニクについて調べてくれればいいし、念のため述べておくと私が行きたいのはクロアチアにある世界遺産の都市ドゥブロヴニクつまりDubrovnikであってスロヴェニアにあるよく似た名前の都市ドブロヴニクつまりDobrovnikではなく、ではないもののドブロヴニクのWikipediaを見てみるとドゥブロヴニクとの関係について「無関係で、近くもない」との記述があり別に近さの情報は要らないだろうとそう思ってドブロヴニクに少しだけ同情してほしいなどとは全く思っていない。

文構造は常に崩壊しているべきであり、タイトルと内容は乖離しているべきであるというのもまた当然の事実である。140文字に収まるならTwitterに書けば良いのであって、140文字に収まらないなら140文字に収める努力をすべきなのである。それでも140文字に収まらない時に初めてブログに書き得るというのは別にそうではなく、むしろ文字数に必然性をどれほど見出すのかということの方が重要なのだから結局それはそういうことなのである。あれがああいうことであってそういうことではないのはあれがあれであってそれではないからである。代名詞の話をしているときに代名詞の指示対象が代名詞だと考えてみて特に面白いことも面白くないこともないのである。

詩でないものを詩だと言い張るよりもただ何かが書かれたものを人に見せてみてそれを相手が詩だと思うならそれはそれでいいし詩だと思わないならまあ黙っていれば良いのである。トリストラム・シャンディが小説かどうかという話は冷戦が平和かどうかという話くらい気にされるべきではなくて、それは別に事実であるかとかそういうことではなくてそれよりももっとそれ自体が重要であるという事実がそこにそういう風にして存在するということに由来しており、結局のところそれらのそれらの指示対象が解らなくともこの文が理解可能であったというのはそれとは別の全然関係のない話であったりするのである。

ドゥブロヴニクが良いところであって欲しいと私が思っているかどうかに関してはそれほど定かではなく、ドゥブロヴニクドゥブロヴニクである以上私の中でそれは悪いところではありえないのである。丁度缶コーヒーが缶コーヒーである以上は不味いコーヒーであるように。

だからドゥブロヴニクは良いところなのであり、この文章は別にそういうことを伝えるために書かれてはいないのであった。

嘘について

https://twitter.com/racbsk/status/863613795188457472

 

そもそもこのツイートをしたのは感情論に対して詭弁で反論し、さらにその上に詭弁を塗り重ねて不特定多数を侮辱するという地獄のようなやりとりを目撃したからなのだが、しかしまあこうしたことが起こったとしてもそれがそれなりに安全であるのはロジック自体は全く揺るがないということは注意深く見れば誰の目にも明らかであるからである。

ただ、同じようにロジックに本来的には影響を及ぼさないものの危険であるようなものとして詭弁乃至嘘があり、これが危険であるというのは、感情論はロジックに影響を及ぼさないもののロジックは感情に影響を及ぼしうるということに由来する。つまり、嘘は原理的にはロジックとは別の存在であるにもかかわらず、感情論とは違ってロジックの姿に偽装することができる。できるので、ロジックのもつ感情への訴求効果を擬似的に持つことができる。つまり、ロジック自体が堅牢であっても、それとは全然独立にロジックと似た効果を持つものを存在させることができる。

というのは第一次段階の危険であり、第二次段階の危険が存在する。それはつまり、事実は、それと対立するような事象が生じただけで、それと対立するような事象が何ら証拠を持たなくても、端的に嘘であっても、その信頼性を相対的に弱めることになる。ここでいう信頼性とは心理的なものでありロジカルに定量化されているものではない。したがって、事実は、もはやロジックによって支援されるだけでは信頼に足るに十分ではないということになる。相手が例え自らを補強するようなことをロジカルにしようとしなくても。ここで何が起こるかというと、簡単にいえば、ロジックが感情的な訴求力を失うということが起こる。それはつまり、感情に訴求しうるものがここではもはや感情でしかないということである。ロジックを互いに構築してそれによって議論を立てようとする形式は崩壊することになる。ここで注意して欲しいのは、この一連の過程において、事実及びロジックは十全に堅牢であるということである。ロジック自体が脅かされるのならばそれはロジックの危機であるが、ロジックは脅かされないのにロジックが力を失うというのは社会的な危機である。

こうした社会においては既に事実と嘘という厳密な区別を社会の中で見つけることは困難になり、ある一定の集団にとって事実らしい、あるいは事実であって欲しいものが、ある集団の中で事実とみなされるということになる。一旦その図式が確定してしまえば、あとは確証バイアスによる強め合いが起こるだけである。そうした全体において、ファクトチェックは無力であり、立場としてのニュートラルさは欺瞞としか見られなくなる。なぜなら、ニュートラルな立場というのは相反する事実をどちらも否定しようとしない優柔不断な立場だと、少なくとも特定の事実を抱える集団には映るからである。

ここで結論とするのは、言説ベースの事実の構成の困難さであり、シミュレーションベースのものをいかに構築するかという問いである。

缶コーヒーは不味い

缶コーヒーは不味い。というのはトートロジーであって、私が不味いコーヒーと言った場合、味の如何に関わらず大体において缶コーヒーのことを指している。そして私はその缶コーヒーもとい不味いコーヒーを愛好している。

キリンやサントリーなど、世に不味いコーヒーを送り出す企業は幾つかあり、そうして、各社ともただ同じ不味いコーヒーをひたすら作り続けるわけではなく、毎年、趣向をこらして新作の不味いコーヒーを出している。そしてその不味いコーヒーたちは不味い。確か一昨年のものだったかは灰を入れた水の味がした。そして確かそれを20本近くは飲んだ。不味かった。

ホットの不味いコーヒーはアイスの不味いコーヒーに比べるとあまり不味くはなく、したがって不味いコーヒーの旬は夏である。夏場に自動販売機やコンビニなどで冷えている不味いコーヒーは不味いコーヒーの中でも特に不味い。或いは冬においても、例えばホットの不味いコーヒーを買って懐炉がわりに使ったとして、その絶妙な冷め具合の、あまりに得るものがない温度は、不味いコーヒーの不味さをいっそう引き立ててくれるものである。

不味いコーヒーは缶から取り出しても不味いので不味いコーヒーの不味さは不味いコーヒー自体の責任である。そのように不味いコーヒーを私は日々購入しており、飲むたびに不味いと感想を漏らしているのであって、不味いコーヒーは不味く、例えば美味しい食べ物と不味い食べ物では美味しい食べ物を選ぶのだが、普通のコーヒーと不味いコーヒーがあったら不味いコーヒーが選ばれるのだと思う。

不味いコーヒーは様々な場所に存在しているので、不味いコーヒーを手に入れることは容易である。これは不味いコーヒーの特殊さであり、例えば不味いオレンジジュースを探すのは結構難しかったりするものである。不味いコーヒーの不味さは美味しいコーヒーと飲み比べなくても解る不味さであるのでそうした飲み比べは不要であり、むしろ2つの不味いコーヒーを並べてどちらがより不味いかを比較する方が有意義である。

不味いコーヒーは不味いので、美味しい缶コーヒーなどといった表現は美味しくて不味いコーヒーといったものを想定することになり不毛である。

教育について

何故堀江貴文茂木健一郎がメディアでもて囃されるのか、私には解りかねるが、ともかくも社会問題について発言をする際には多少考えてから言って欲しくはある。この話は本題とは関係ないのだが、もう一つ関係ない話をすると、MOSHIMOの曲で「命短し恋せよ乙女」というのがあり、私は別に好きではないのだが、タイトルが「ゴンドラの唄」の歌詞から来ていることは解る。解るというか、もし解らなくても少し調べれば数秒で解る。にもかかわらず、YouTubeのコメント欄で森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』との類似を指摘するものがあり、そりゃあ類似も何もどちらも元ネタが同じだということは解るだろうと。解るだろうというか、もし解らなくても少し調べれば数秒で解る。しつこくてあれだが、この「もし解らなくても調べれば数秒で解る」事象に遭遇しても調べずに先に口が動く人は結構多い。私はスマートフォンを持つ前から、日常的に聞いた解らない言葉を頭に貯めておいてPCで調べたりといったことをしていたので、スマートフォンを持っても私にとってはラグが無くなっただけだったし、実際にすぐ解る(解りそう)な事柄を例えばTwitterなどに投げ出しておくということも耐え難いように個人的には思うのだが、そういう人が居るという事実が正直なところよく解らない。

という前提があった上で、さて普通教育は何を教えるべきかという話をしたかったのだった。

そもそも種々の学問分野全てに関して様々な判断が出来るほどの教育を行うには普通教育の期間はあまりに短く、したがって全く普通教育では入門できない例えば心理学のような分野があることもある程度仕方のないことではあるが、しかし心理学が重要ではないということでは全然なく、未開拓領域が広いという観点から言えばかえって重要ですらある。しかし時間は限られており、しかも高等教育では自分の興味に応じたある程度の専門化が求められもする。そうした選択において重要なのは、興味・関心に基づいて選ぶことで、自分のできること/できないことに基づいて選んでしまうのは前述のような分野があることから考えても望ましいとは言えない。であるならば、つまり普通教育で何を教えるべきかだが、これは2点あると思う。

1つに問題意識があり、これは別に何かが問題であるということを意識づけるという意味ではない。学問には目的があり、経済学とは経済現象を扱う学問ではなく、経済現象を数理的に理解することを目指す学問なのだと思う。多くのことが解っており、それでいて多くのことが解っていないという知見、知識をつける上での方向性を与えること。

もう1つはリテラシーであって、これは別に読み・書き(・算盤)ができるとかそういうことを意図しない。もちろんそれは出来るようになるべきであるが、ここで言いたいのは、自分で理解を進めるための基礎づけを与えること、という意味においてである。つまり、自分で自分の知識を広げる手段もとい方法論を習得させること。

というのは抽象的な議論であり、抽象的なのは私の考えが進んでいないからである。そのうち続きを出したい。