雑記帖

存在します

雪の積もった空港に着陸すること、その他

いつの間にか眠ってしまっていて外の白さはすでに雲の白さではなくなっており、眼下ではもう隙間から白くなった森が敷かれているのだった。そのまま唸るように進んでいくと人の家が見えて畑が見え、「雪というのは随分に整然と積もるものなのですね」と言う人がある。もちろんそれはわたしでしかないのであり、でもどうしてわたしはそれに「そうなんですよ」なんて答える練習をしてしまったのだろうか。あまりにも雪が近くにある場所で埋葬された幼少期はわたしに雪を新しく見ることをどうしても許さず、そのようにしてわたしの新しい眼はつねに誰かのふりをしている。わたしも誰かのふりをしているわたしが誰かであるふりをしているのだと、そんなことに気がつかなかったわけではないでしょうに、随分と難儀するものです。

海の色が青ではない色をしていたことに気がつく暇もないほど静かに飛行機は滑走路を滑走しており、だんだんと止まっていくその窓の向こうに名前が見えるのだった。MEMANBETSU。女満別、と書く。数えることを始めようと思うよりずっと前から幾度となく着陸と離陸を繰り返しており、思えばかつてはここに降りることが帰郷であったのだ、どのようにしてわたしはこの景色に気づかないでいたのだろう、と文字をまた見る眼が泳ぐ。メ・マ・ン・ベ・ツ。どうしたってこれはMEMAMBETSUであってNではなく、舌を口蓋で跳ねさせてみてもBにつながるはずもない。MEMANBETSUだなんて、そんなのin-possibleだよ。そういうことを言ってみたいと思うし、ひどくつまらなくてひどく面白いなと思う。誰かが親切にもスペルミスを指摘してくれて、そしてわたしはジョークの説明に顔を赤らめながら、相手は筋違いな指摘に顔を赤らめながら、あなたは馬鹿にするようにわたしを笑って指摘もしてくれないのですか。だって全部あなたが間違っているというのに。それならどうしてこんなことをいったのだろう。

そのように滑走していく。

帰りの便だった。飛行機が今ある場所をわたしは取ってつけたように降りてきたモニタで眺めており、そこにはあちらこちらの都市の名前が英語で書かれている。もちろんSendaiの上空にいるのだったね。徐々にカメラが引きになっていく。Dalianが顔を見せる。ダリアン、ダーリャン、いやダーリェン、大連なのですか、あなたは、とDalianに怒ってみせる。ではあのリューシュン、旅順は、いまどうしていますか。Port Arthur、ですか? Arthurをアルトゥールとしか読めなくなってからもう随分経つというのに。そんなことはもう全部飛んでいってしまって、大連という都市の名前はそれほどに古いものではないこと、あなたのPort Arthurを一緒にしてしまって一時期は旅大と名乗っていたということ、今ではもう完全に拒絶反応を起こさないので移植が成功して大連という名前になっているということ、そういうことを矢継ぎ早に知る時間が続く。リャオトン。そこにDalianがなかったらわたしはあなたのことを思い出していたのですか、リューシュン、そこでどうしていますか。そのように物問いたげな眼が自分から伸びてきて息が詰まってしまう。

電波塔が線を伸ばして森に境界を作っていた。国境は見えなくても県境が見えたりするのだろうか、宇宙からは。遠くに見えるものについて盛んに話す人がいた。読んでいる本はほとんど進むことはなく、目を落とすとこんなことが書いてあるのだった。

「こんなことなら刑務所の外に人間的な刑務所をつくって、犯罪が起きる前からみんなをそこに入れておいた方がいいのに」とわたしが冗談を言うと、翻訳家は真面目な顔で「その刑務所って、東ドイツのこと?」と訊き返した。

また海の上を飛んでいる。港が遠くに所在なげにあるのが見えて、そこではキリンが項垂れて積荷を待っている。青いキリンというのもいるものだな、と考えたりはしないのがあなたの想像力の貧弱なところですよ。そうですか、ではこれからどちらの想像力が貧弱なのか言い合いをするとしましょう。テトラポッドがお菓子みたいに海岸線に散らばっていて、テトラポッドは消波ブロックという一般名を持つのですよ、散らばっていて、小さな船が大きな船より場違いに大きな白い尾を引いている。それを軽々と追い越して、着陸する前に考えなくてはならないことがあるのかもしれないなと思う、家に帰ったら気取った文体でこのflightについて書こう、と思って、すべてのメマムベツに感謝を、どうか、と考えることを止める決意を固めたとき、車輪は雪のことをすっかり忘れてしまって乾いた地面と摩擦を始めるのだった。