雑記帖

存在しており、文章を書いています

はやく人間になりたい

血は赤色です。よしなに。

人間といえば、以前よりしばしばわたしは自分が人間ではないことを公言しており、その背景には面倒な思想であったり廃墟であったりが存在するものですが、今回の話は別にそのことに言及するものではありません(いずれどこかでするかもしれません)。より卑近で仕方のない話です。あけましておめでとうございます。話を始めた途中にいきなり言うことでもないのですが今年はまったく不適切なタイミングでしかあけましておめでとうございますと言いたくないようになってしまっているようです。「おめでとうございます」が「めでとうございます」の形で定型化しなかったおかげで、おめでたい人に向かってわたしたちは「おめでとうございます」ということができるのです。嬉しい限りです。

何の話なのでしょうか。何の話かと問われても困ってしまうのですが、もちろんそうやって問うたのはわたしであり、自分が困るような問いを筆者が勝手に立てて筆者に困られても読者としては困るわけでして、しかし筆者としても困るのは困るのだから悩む時間くらいは必要であり、それでもとりあえず何らかの答えは出さなければならないのです。もしかしたらバーチャルYouTuberの話かもしれませんし、全然そうではないのかもしれません。ただ構造に言及するときにそれが道具立てとして便利なだけなのかも、もしかしたらただわたしがバーチャルYouTuberになりたいだけなのかもしれません。そういう話です。

例えば人は無視されて当たり前であるかと思いますか。思うという人は性格が悪いので更生してください。当たり前ではないわけです。でもアイドルの下にはファンが集うのであり、バーチャルYouTuber(あるいはバーチャルライバー)の配信には視聴者が集うのであり、そしてその人の量はある程度の人気があれば大規模であるわけです。より具体的には同時接続100人超えくらいはある場合がしばしばなのです。そして人は一般に100人の人と同時に話をすることはできないのです。聖徳太子は人です。1000円札のことを野口とか呼ぶのをやめてください。そうでなければポンド紙幣のことを全部エリザベスと呼んでください。そのようにして配信者は視聴者を無視することになるわけです。あるいはコメントを拾うということ、返事をすることが特殊なものへと変化するのです。

でも人に無視されるのは悲しくないですか。悲しくない人はそれはそれで幸せだと思うのでいいと思います。そのようにして悲しくなった人は、いやそれは人ではないのかもしれず、そもそもそういう話なのでした。人であれば無視されないのかもしれませんよね。それともあなたは神なのですか。ヒエラルキーを考えるときにすぐ神という言葉を使うのは人間の悪い癖でして、オーバーロードとかそういう言葉遣いもできるのですが。あなたが神でわたしが人なのだとしたら、やっぱり神は人を無視してしまって構わないのですか。でもそんなことはない気がするのです。あなたが神であるようにはどうしても思えないから、だからやっぱりわたしは人ではない、人よりも矮小な何かで、だからあなたはわたしを無視するのかもしれません。そもそも自分より矮小な何かを無視してよいはずがなく、単にそれは位置付けの問題にすぎないのですが、でも視聴者とコラボレーションを行う配信者は珍しいということを言い添えておくことは可能です。実のところ全然無視をされたことなどなく、それはリアルタイムで配信を見ることをしないからなのですが、それはおそらくもしそれに参加してコメントをすればたちまち人ではない領域に引きずり落とされてしまうと思うからなのかもしれません。アーカイブというねじれの下に自分を置くことで。

だからバーチャルYouTuberになりたいのだと、そういうことでしょうか。本当は全然そんなことはなく、ただ人と話をしたいだけなのですか。人に話をするための時間が欲しいからクイズを出題したりしているのですか。半年くらい前は未来だったのに、なぜか随分違う方向まで歩いてきてしまったようです。あるいは未来はもっと遠くにあって、山頂が見えた気がしたからといって山頂は全然近くはないのでしたか。そもそもの話として麓からも山頂は見えるのでしたね。

どうしたら人間になれるでしょうか。あるいは人間でなくても、ただそこに存在することを納得できるでしょうか。世界に人が10人くらいしかいなくて地球全体に散り散りだったら全然寂しくないのです、あなたが存在するなんてことを全然知らないままに生活が進んだら、別れがあるから何かが美しいというのなら美しさと別れてほしい、でも結局布団に包まれなければやっていられないほどにここは寒いのでした。布団は好きですか? そうですか、わたしはきらいです。でもすきです。