雑記帖

創作以外のことを書きます

左利きであるとはどういうことか

少し個人的なことを書きます。とはいえ「考えごと」カテゴリに位置する時点である種個人的なことではあるのですが。

先だってこのようなツイートをしました。

「右」の定義を「箸を持つ方の手がある側」と書いてしまって痛くも痒くもないのがマジョリティであるということです。そんなものです。

以前にはこのようなツイートをしました。

小さい頃は「自分は不器用だからパンケーキも上手く返せないし改札でももたつくんだ」みたいに思っていたのだが、左利きだからだと気付いたときにはちょっとイラっとした。

またこのようなツイートもしています。

結局人の気持ちなんて実感できないと思うんですよ、性差別まで行かなくても、車椅子体験でも毎日の地下鉄の乗降の大変さは解らないし、学校で貸出しているハサミが全て右利き用だったときの絶望感とか、実感できないのは鈍感ではなく当たり前だから、むしろ自らの想像力の貧困さに思いを致すべきだと。

これらは全て左利きに関する話です。そうして念のため表明しておきますが私は左利きな訳で、それに関する話を(自分の中で論点を分散させないために)しようと思います。一つ前提として、私には「右利きであるとはどういうことか」が解りません。また、私は野球で打席に立つ際は右打席に立つので、厳密に言えばクロスドミナンスです。

まず、先だってのツイートをした経緯についてですが、直接のきっかけはこの記事を見たからです。

「右」って定義できますか?画像は禁止で。【あしたはげつようび】 | quizknock

この中に、

よく聞くのが「お箸を持つ方の手」。これではだめだろう。宇宙人は左手で米を食べているかもしれない(そもそも宇宙人がお箸という文化を持っているかも怪しい)。

とありました。言いたいことは大体解ると思います。一応述べておきますが、この記事は良い記事だと思いますし、引用部分の記述に修正の必要があるとも思いません。ただ単に、「宇宙人は」か、ふむ、と私が思ったというだけです。

まあ左利きであるとは概してそういうことです。悪意よりもそういったことで気づくことの方が多いし、悪意でないから責められるものでもなければ私に責める気がある訳でもありません。少し解りやすいエピソードとしては、私が小学生だった頃に友人の家に遊びに行き、そこで友人の恐らくは祖母に当たる人物に左手での食事を咎められた、という記憶があります。より正確には、右手での食事を推奨された、ということです。そういうこともあります。その時は戸惑っただけでしたが、もしも何度もそういったことがあればスティグマ化していただろうことは想像に難くありません。

幸か不幸か世間的には左利きを羨ましがる風潮も存在し、そのお陰でスティグマ化は避けられています。ただ、混乱はします。自分の器用な手が左手であるということが他人にとってどのような意味を持つのかはよく解りませんでしたし、今もよく解りません。それは私が右利きではないからで、恐らくただそれだけです。スティグマ化はしませんが、アイデンティティ化はします。右利きの人は多分、右利きなんだね、と言われたことはないと思います。別に、左利きなんだね、と言われることが嫌であるとか不快だとかそういうことではありません。強いて言えば大体において慣れたので特に何も思いません。羨ましがられると多少混乱はしますが。

時々、なおされなかったんだね、と言う人もいます。「なおす」に相手がどちらの漢字を当てているのかは解りませんし、「なおす」という響きには少し釈然としないものもありますが、まあそうだね、と首肯するだけです。だからどうという訳でもなく、別にその言い方に取り立てて深い問題があるとも思いません。まあ解りやすい言い方だろうなあと思うだけです。

今はそんなに左利きであることを主張したいとも思わない訳ですが、地球人だって左手で米を食べるよなあということをわざわざ書くくらいの気持ちではあるということではあります。まあそもそも、宇宙人に手があるのかどうかという話もありますしね。一々そういう細部に拘っていてどうにかなるようなものではない訳です。ただまあ、時々透明にされるというのは、ちょっとした恐怖を伴うものではあるということだけ書いておきます。以上です。