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雑記帖

創作以外のことを書きます

教育について

何故堀江貴文茂木健一郎がメディアでもて囃されるのか、私には解りかねるが、ともかくも社会問題について発言をする際には多少考えてから言って欲しくはある。この話は本題とは関係ないのだが、もう一つ関係ない話をすると、MOSHIMOの曲で「命短し恋せよ乙女」というのがあり、私は別に好きではないのだが、タイトルが「ゴンドラの唄」の歌詞から来ていることは解る。解るというか、もし解らなくても少し調べれば数秒で解る。にもかかわらず、YouTubeのコメント欄で森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』との類似を指摘するものがあり、そりゃあ類似も何もどちらも元ネタが同じだということは解るだろうと。解るだろうというか、もし解らなくても少し調べれば数秒で解る。しつこくてあれだが、この「もし解らなくても調べれば数秒で解る」事象に遭遇しても調べずに先に口が動く人は結構多い。私はスマートフォンを持つ前から、日常的に聞いた解らない言葉を頭に貯めておいてPCで調べたりといったことをしていたので、スマートフォンを持っても私にとってはラグが無くなっただけだったし、実際にすぐ解る(解りそう)な事柄を例えばTwitterなどに投げ出しておくということも耐え難いように個人的には思うのだが、そういう人が居るという事実が正直なところよく解らない。

という前提があった上で、さて普通教育は何を教えるべきかという話をしたかったのだった。

そもそも種々の学問分野全てに関して様々な判断が出来るほどの教育を行うには普通教育の期間はあまりに短く、したがって全く普通教育では入門できない例えば心理学のような分野があることもある程度仕方のないことではあるが、しかし心理学が重要ではないということでは全然なく、未開拓領域が広いという観点から言えばかえって重要ですらある。しかし時間は限られており、しかも高等教育では自分の興味に応じたある程度の専門化が求められもする。そうした選択において重要なのは、興味・関心に基づいて選ぶことで、自分のできること/できないことに基づいて選んでしまうのは前述のような分野があることから考えても望ましいとは言えない。であるならば、つまり普通教育で何を教えるべきかだが、これは2点あると思う。

1つに問題意識があり、これは別に何かが問題であるということを意識づけるという意味ではない。学問には目的があり、経済学とは経済現象を扱う学問ではなく、経済現象を数理的に理解することを目指す学問なのだと思う。多くのことが解っており、それでいて多くのことが解っていないという知見、知識をつける上での方向性を与えること。

もう1つはリテラシーであって、これは別に読み・書き(・算盤)ができるとかそういうことを意図しない。もちろんそれは出来るようになるべきであるが、ここで言いたいのは、自分で理解を進めるための基礎づけを与えること、という意味においてである。つまり、自分で自分の知識を広げる手段もとい方法論を習得させること。

というのは抽象的な議論であり、抽象的なのは私の考えが進んでいないからである。そのうち続きを出したい。